聖書別日ごとの糧   >>   テモテⅠ[2009]

2009年 07月 17日 (金)

テモテへの手紙第一5:1-16
人々にどのように接するのか

Ⅰ.老若男女に対する態度(1,2)
 福音の働き人は、主のしもべという一つの理由で聖徒たちから愛と尊敬を受けるようになります。その時、働き人はまるで何かにでもなったかのように、心が高ぶり、人々を軽んじて接しやすいのです。しかし働き人は誰であっても謙遜な心で接し、仕えなければなりません。年寄りには決してしかってはならず、父親に対するように、若い人たちには兄弟に対するように、暖かい愛情で接しなければなりません。また年とった婦人たちには母親に対するように、若い女たちには真に混じりけのない心で、姉妹に対するように勧めなければなりません。
Ⅱ.やもめに対する態度(3-16)
 旧約時代のように、初代教会の時もやもめの救済のように、多くの神経を使いました(使6:1)。ところがパウロは、子どもか孫かがいるやもめは彼らに両親によく仕え、親の恩に報いる習慣をつけさせなさい、と言います(4)。また親戚がいる場合は、その人たちに顧みさせ、教会には負担をかけさせないほうがいいと言います(16)。そうしながらも、本当のやもめには手厚くもてなすように言います。本当のやもめは誰の助けも受けることができず、神様に望みを置いて昼も夜も祈る人であり、良い行ないによって認められている人を指します(5,10)。反面、若いやもめは結婚させ子どもを産み、家を治めるようにして、あっちこっちに行って悪影響を及ぼさないようにしなければなりません。このように福音の働き人は人々を助ける知恵と人格がなければなりません。

祈り:主よ!私に各界の人々を抱いて仕える謙遜と広い心と知恵を施してください。

一言:謙遜と心



2009年 07月 18日 (土)

テモテへの手紙第一5:17-25
長老たちに対する姿勢

Ⅰ.よく指導の任に当たっている長老に対して(17,18)
 長老たちに対しては、根本的に尊敬の念を持たなければなりません。特によく指導の任に当たっている長老は二重に尊敬を受けるにふさわしいとしなければならず、その中でも、みことばと教えのためにほねをおっている長老は特にそうしなければなりません。なぜなら神様の御業において、御言葉を教えることが最も大切なことだからです。働き手が報酬を受けることは当然であるように、よく指導の任に当たっている長老は二重に尊敬を受けるにふさわしいことです。
Ⅱ.罪を犯している長老たちに太刀して(19-25)
 長老が罪を犯したと言って訴えて来る時は、その罪を確認しますが、慎重にしなければなりません。謀反である可能性も高いので、二人か三人の証人がなければ受理的はいけません。しかし罪を犯したことが確認されれば、公開的に責め、ほかの人をも恐れさせなければなりません。長老の反発を恐れたり、体面を守ろうとして偏見を行なえば、教会に真理が立たなくなるのです。
 しかし何より大切なことは、長老のような教会の指導者たちを按手して立てる時には、慎重にしなければならない、ということです(22)。それは、彼らが罪を犯したなら、他の人にも悪影響を及ぼし、教会に与える打撃も大きいからです。

祈り:主よ!私たちの集まりが人間的にすばらしい人々よりは、御言葉を教えることをよく行なう人が尊敬される集まりになるように助けてください。

一言:御言葉を教える者を尊敬しよう!


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