聖書別日ごとの糧   >>   テモテⅠ[2023]

2023年 08月 17日 (木)

テモテへの手紙第一1:1-11(5)
この命令が目指す目標

マケドニアに向かうパウロは、テモテをエペソ教会にとどめておきました。神の家でどのように行動すべきかを知ってもらいたくてパウロはこの手紙を彼に宛てます(3:15)。また、福音信仰によって生きることが何であるのかを教えるためでもありました。当時エペソ教会には、ある人たちが福音ではない違った教えを説いていました。彼らは、果てしのない作り話と系図に心を寄せ、むなしい議論を引き起こしているだけでした。これは神に委ねられた信仰の務めを実現させるものではないとパウロは言います。ただ目標は、きよい心と健全な良心と偽りのない信仰から出て来る愛によって、生きるためにありました。今日でも、多くの偽りの教えがあります。私たちの信仰を見失わせ、議論させ、信仰から生まれる愛の関係を壊します。私たちの日常に、違った教えが入っていないでしょうか。私たちの信仰の共同体に愛ではなく議論がないでしょうか。福音ではない違った教えを警戒しているでしょうか。

律法を適切に用いるならば、良いものです。法は正しい人のためにあるのではなく、法を犯した者を対象とします。同じように律法は、私たちの罪を自覚させ、福音へと導くことにおいて良いものです。しかし律法が救いを与えるのではありません。まして、違った教えは、私たちを迷わせるだけです。私たちを罪から救うのは、ただイエス・キリストの十字架の福音だけです。祝福に満ちた神の、栄光の福音を委ねられたとパウロは言います(11)。私たちも、パウロのように、偽りの教えが満ちた世の中で、この栄光の福音の命令に従って歩んでゆきましょう。



祈り:私の日常がどれほど議論とむなしい言い合いに明け暮れているのか、どうかきよい心と健全な良心と偽りのない信仰からの愛で私を満たしてください。

一言:偽りのない信仰から生まれる愛



2023年 08月 18日 (金)

テモテへの手紙第一1:12-20(19)
信仰と健全な良心を保ち

パウロは以前、神を冒涜する者、迫害する者、暴力をふるう者でした。信じていない時のこととは言え、パウロは自分の無知と不信仰について、福音の敵だったとします。神様に熱心であるどころか、むしろ神様に敵対していました。彼は過去の自分の惨めさを痛いほど理解していました。

「キリスト・イエスは罪人を救うためにこの世に来られた。」ということばは真実であり、そのまま受け入れるに値するものです。イエス様はこのパウロの罪を救うためにも世に来られました。「私はその罪人のかしらです。」彼は神と敵対していた罪人のかしらだったことを自覚します。同時に、そんな罪人のかしらとしての自分を救ってくださった主の恵みを忘れませんでした。パウロは自分を救ってくださった主のあわれみの目的を忘れませんでした。それは、パウロを通して、イエス・キリストがこの上ない寛容を示されること、信じて永遠のいのちを得ることになる人々の先例になるためでした(16)。信仰とは、罪人のかしらをあわれみ、召してくださるイエス様を信じる信仰です。健全な良心とは、自分は罪人のかしらであるという真実を直視し、受け止める謙虚な態度です。ところが、ある人たちは健全な良心を捨てて、信仰の破船にあいました(19,20)。キリストの恵みの中で忠実だった多くの人々が、ある時から「知識」を振りかざして信仰から離れます。テモテはそのような偽りの教えと戦わなければならないことを、パウロは預言にしたがい委ねます。それは、テモテが信仰と健全な良心を保ち、立派に戦い抜くためです(18)。



祈り:独りよがりな信仰を振りかざして不健全にいた私こそ、かつてのパウロでした。そんな私をあわれまれる神様、私の日々はあなたに健全にされる恵みが必要です。

一言:信仰と健全な良心を守るための戦い


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