聖書別日ごとの糧   >>   テモテⅠ[2023]

2023年 08月 21日 (月)

テモテへの手紙第一3:1-13(1)
監督の職につく人

主の御業は一人ではできません。共に同労する者が必要です。では、どんな人に職を与え、立てればいいのでしょうか。監督と言う職は、兄弟たちを神様の御言葉で育てる責任があります。この職につきたいと思うなら、立派な働きを求めることです。パウロは能力ではなく序列でもなく、信じている内面と実生活の両面において審査し、立てるべきだと言います。内面として生きる方向は主を喜ばせることに向いています。そして生活面においても模範的であるべきです。自己管理に失敗する人が兄弟を顧みることはできません。また、家庭を治めている人です。ただ、このような条件を備えているからといって、信者になったばかりの人を立てることは勧めません。高慢になって、悪魔と同じさばきを受けることにならないためです。また、教会の外の人々にも評判の良い人です。監督者には、多くの要件が求められます。それは、重責のある指導者のポジションだからです。

 執事は管理し、仕える職です。初代教会では特に救済事業を任されていました。実務的なことを任される執事は、非難される点がない人を選びます。きよい良心を持って、信仰の奥義を保つ人を選びなさいとパウロは教えます。執事は神様の恵みによって結ばれた人です。福音の御業において、人を立てることは、これ以上ないほど大切なことです。それゆえ慎重であるようにともパウロは教えます。まず、審査をして、立てる、というステップが必要です。「どんな人を立てるのか」は、つまるところ「兄弟姉妹をどのような人に養育するのか」につきます。彼らがキリスト・イエスを信じる信仰について、強い確信を持つように導くことです。



祈り:わたしが兄弟姉妹を見る目を正して下さい。わたしの感情や思いではなく、聖書的な価値から兄弟姉妹を育て、立たせることができる人となれるようにお助けください。

一言:聖書的な価値観



2023年 08月 22日 (火)

テモテへの手紙第一3:14-4:5(3:15)
神の家

パウロはテモテに、神の家でどのように行動すべきかを教えるために手紙を書きました。「どんな集まりとして導くのか」、「誰を立てるのか」をこれまで話しました。ところが、「教会が何であるのか」という認識こそが最も大切です。ここで、教会は神の家だとパウロは教えます。教会は世俗的な親睦を深める社交場ではありません。個人の必要と要求を満たす所でもありません。教会は人ではなく、神様がお与えになった場所です。どうすれば、神様を喜ばせることができるのかを探り求める場所です。教会は真理の柱と土台です。真理であられるイエス様を中心に据え、キリストの福音を諸国の民の間で宣べ伝える所です。教会がイエス様を中心に置かず、福音伝道をおろそかにするのなら、教会はその力を失います。あなたの集まりの中心には何を据え置いているのか顧みてください。

 教会は福音の真理を守る場所です。ところが、ある人たちが信仰から離れて行くことが起こります。その理由は、真理であるイエス様よりも、惑わす霊と悪霊の教えとに心が奪われるからです。良心が麻痺し、偽りを語る者たちの偽善が彼らの内に働きます。彼らは結婚することを禁じたり、食物を断つことを命じたりします。しかし、神様が造られたものはすべて良いもので、それを感謝して受けとめるとき、捨てるべきものは何もありません。問題になるものは何もありません。神様の御言葉と祈りによって、神の家は聖なるものとされるからです。



祈り:私たちの集まりが道であり、真理であり、いのちであるキリスト、あなただけを中心と据えた家となるように、すべての良いものでこの場所を満たしてくださるように祈ります。

一言:真理の柱と土台


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