聖書別日ごとの糧   >>   テモテⅠ[2023]

2023年 08月 26日 (土)

テモテへの手紙第一6:3-10(6)
満ち足りる心を持つ敬虔

信仰生活の中では離れて行く人々がいます。他の教えである異端思想に関心を示し、離れてゆく人々です。彼らは、キリストの健全なことばと敬虔にかなう教えとに同意しない人々です。御言葉を愛さず、敬虔さをなくすと心は高慢になります。虚しい考えが心を占め、分別力を失います。実のところ、何一つ悟ることができていないのに、弁論やことばの争いをする病気にかかるのです。自然に、そこから、ねたみ、争い、そしり、邪推、絶え間ない言い争いが生じます。知性が腐って真理を失い、敬虔を利得の手段として考えるようになります。このような人々に争いが終わる日はありません。神様の御業をそしり、信仰から離れて行くようになります。しかし、御言葉に同意する者は、どんな誘惑にも打ち勝ち、信仰を守ることができます。

世の中は富を求め、発展し、華やかになります。このような世の中で、自分も知らないうちに、金銭に対する欲望が入り込んできます。しかし、今の自分に満ち足りる心を伴う敬虔こそが、大きな利益を得る道です。私たちは、何もこの世に持って来たわけではなく、何かを持って出ることもできません。日々、衣食があればそれで満足しなさいと勧めます。そうしないと、金持ちになりたがる人たちは、誘惑と罠と、愚かで有害な多くの欲望に陥り、滅びと破滅に沈んでしまいます。金銭を愛することが、あらゆる悪の根です。金銭を愛する人は誘惑を受け、信仰から離れて行くようになります。結果、多くの苦痛を受け、さばきを受けるようになります。



祈り:主よ、私がどれだけ心が乾いていて満足を覚えていないことか。金銭の欲の深さから離れ、みことばによって私の心を満たしてください。

一言:満足すべきです



2023年 08月 27日 (日)

テモテへの手紙第一6:11-21(12)
信仰の闘い

クリスチャンは聖なる、世とは区別された人のことです。そのため避けるべきことがあると言います。しかし、消極的な方法だけでは足りません。私たちには、自分から動いて、義と敬虔と信仰、愛と忍耐と柔和を追い求める積極性も求められます。また、信仰の戦いを立派に戦うことも必要です。信仰の戦いの勝利には努力が求められます。この戦いの目的は、永遠のいのちを獲得することです。このためにクリスチャンは召されました。クリスチャンは主イエス・キリストの現れの時まで、汚れなく、非難されるところのない成熟を身につけることです。定められた時になると、神様はキリストを示してくださいます。キリストは祝福に満ちた唯一の王権者、王の王、主の主です。死ぬことがない唯一の方であり、近づくこともできない光の中に住まわれます。キリストは人間が誰一人見たことがなく、見ることもできない方です。キリストの称賛と報いを仰ぎ見て、勇敢に信仰の戦いを立派に戦うことです。

富んでいる人が信仰を持つのが難しいのは、富に望みを置いているからです。しかし、富は頼りにならないもので、決して望みを置く対象にはなりません。富んだ者たちは、何も持たない者のように生き、望みを神様に置いて生き、まことのいのちを得るために生きるようパウロは命じます。善を行い、立派な行いに富み、惜しみなく施し、喜んで分け与え、他の人の苦しみに深く同情する人になることです。来るべき世において立派な土台となるものを自分自身のために蓄えることが幸福の道です。



祈り:物質に囲まれ戦う姿勢をなくし、満足していた心を悔い改めます。心の貧しさを見つけ、善を行い、惜しみなく施し、喜んで分け与えることで、まことのいのちを得る者となるように助けてください。

一言:信仰の戦いが必要です


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