2003年 02月 10日 (月)
一つの永遠のささげものをささげられたイエス様
Ⅰ.私たちを聖なるものとされたイエス様(1-10)
祭司制度の目的は、罪の問題の解決にあります。しかし雄牛とやぎの血は罪を除くことができないので、毎年罪を思い起こさせます。神様も、祭司といけにえを望まれず、喜ばれません。
それでイエス様が神様の御旨を行なおうとこの地に来られました。それはご自分のからだを一度ささげることで、人間の罪を根本的になくすことでした。イエス様は喜んでこのことを行なわれました。それで私たちは聖なるものとされたのです。獣の血は私たちを聖なるものにすることができませんが、キリストの血は私たちを聖なるものにする力があります。
Ⅱ.私たちを全きものにされたイエス様(11-18)
祭司だけが毎日立って仕え、いつもいけにえをささげますが、このいけにえはいつでも罪を除き去ることができませんでした。しかしイエス様が罪のために、一つの永遠のいけにえをささげました。そして敵を足の下に服従させる時まで、待っておられます。それでイエス様は一つのささげ物によって聖なるものとされる人々を全うされたのです。神様はその律法を心に書きつけ、また人間の罪と不法を思い出すことはしませんでした。
祈り:主よ!一つの永遠のいけにえをささげることで、私たちを聖なるものに変え、全うしてくださり感謝します。
一言:永遠に全うされたイエス様
2003年 02月 11日 (火)
新しい生ける道であるイエス様
Ⅰ.神様に出て行こうではないか(19-25)
イエス様は神様に出て行く新しい生ける道です。イエス様はこの道を、ご自分の血を流し、自分の肉体の垂れ幕を通して、設けてくださいました。私たちはこの道に従って、真心と全き信仰によって、神様に出て行きさえすればいいのです。そうすれば主が私たちを受け入れてくださり、豊かな恵みで満たしてくださいます。
また、私たちは真実な神様を信じて、私たちが信じる道の望みを固くつかみ、互いに助け合い、善行を促し、いっしょに集まることに励まなければなりません。集まって御言葉を学び、福音伝播のために祈らなければなりません。
Ⅱ.永遠の財産を望もうではないか(26-39)
私たちがイエス様を信じた後、故意にイエス様を否定する罪を犯せば、二度目は罪を赦すいけにえはなく、恐ろしいさばきだけが残っています。私たちは迫害があるからと言って、後ろに退いてはいけません。
私たちは人々の批判と嘲笑を受け、金額的に損害をこうむっても、少しも恐れてはいけません。これは私たちに、さらにすぐれた永遠の神様の御国の財産があるからです(34)。それで私たちは確信を投げ捨ててはなりません。それによって
大きな報いがもたらされるからです。私たちは後ろを退いて滅びる者ではなく、ただたましいを救いに導く信仰を持った者なのです。
祈り:主よ!新しい生ける道であるイエス様を受け入れ神様に出て行きます。どんな逆境の中でも信仰によって生きるように助けてください。
一言:イエス様の血を受け入れ
<<(1) 前のページ(9) 10 次のページ(11) (13)>> |