聖書別日ごとの糧   >>   ヘブル[2022]

2022年 07月 21日 (木)

ヘブル人への手紙12:1-13(2)
イエス様から目を離さないでいなさい

私たちには、信仰が何であるかを証してくれる信仰の証人たちが雲のように私たちを取り巻いています。私たちは彼らを覚えて信仰の競走を走り終えなければなりません。このために第一に、一切の重荷とまとわりつく罪を捨てることです。そうすることで信仰の競走を軽く走ることが出来ます。第二に、忍耐することです。ひたすら耐え忍んで待たなければならない時があります。第三に、イエス様から目を離さないでいることです。罪人たちがイエス様を憎み、悪事を働いても、主は十字架で死なれるまで彼らを耐え忍ばれました。私たちは疲れ果てた時でも落胆せず、イエス様のことを考えながら、またこのイエス様を見習っていきましょう。

信仰の競走をしながら苦難を受けることは、神様の訓練です。この訓練は、神様の愛する子どもとして扱われている者として受けるものです。訓練の目的は、苦難を通して神様の聖さにあずかるようになることです。ですから、わたしたちは神様の訓練を軽んじたり、あるいは、苦しいからと言って落胆したりしてはいけません。むしろ、訓練を通して神様の愛を確信し(6)、神様に服従する姿勢を持つべきです(9)。また、鍛えられた人々に義という平安の実が結ばれることを確信しなければなりません(11)。私たちは訓練の時にこそ、疲れた体と心を起こし、絶えず走らなければなりません。



適用:信仰の競走をしながら、誰を見ていますか

一言:イエス様から目を離さないでいなさい



2022年 07月 22日 (金)

ヘブル人への手紙12:14-29(25)
拒まないように気をつけなさい

信仰の共同体はすべての人との平和を追い求め、また、聖さを追い求める生活をしなければなりません。聖徒たちは神様の恵みから落ちないようにすべきです。また、若い根が生え出て悩ませたり、これによって多くの人が汚されたりしないように、気をつけるべきです。また、淫らな者にならないように、エサウのように俗悪な者にならないように注意しなければなりません。聖なる生活ができなかったエサウは祝福を受け継ぐこともできず、悔い改めの機会も失いました。

 著者は平和で聖なる生活をする理由について説明します。イエス様を信じる聖徒たちが近づいているのはシナイ山でもなく、モーセとイスラエルの民が怖くて震えたところでもありません。彼らが近づいているところは、生ける神の都である天上のエルサレム、シオンの山であり、無数の御使いたちと天に登録されている長子たちの集まりであり、さばき主である神様、完全な者とされた義人たちの霊、さらに、新しい契約の仲介者イエス様がおられるところです。ここで聖徒たちは新しい契約の仲介者イエス様を通して、新しく生まれ変わるため続けて聖なる生活をし、平和に過ごすのです。

聖徒たちは神様を拒まないように気をつけなければなりません。先祖たちは地上において、警告を受けても拒んだので、処罰を免れませんでした。まして、天から警告を与える方に背を向けるなら、なおのこと処罰を免れられません。その時には、地だけでなく天も揺り動かされます(Ⅱペテロ3:10-13)。私たちは、永遠に変わらない御国を恵みによって受けた者として、神様を喜ばせようと敬虔と恐れを持って仕えなければなりません。



適用:神様のさばきがどれほど恐ろしいかを知っていますか

一言:神様を拒まないように気をつけなさい


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