聖書別日ごとの糧   >>   ペテロⅠ[2003]

2003年 04月 14日 (月)

ペテロノ手紙第一2:4-10
王である祭司

Ⅰ.尊い生ける石(4-8)
 イエス様は人々から捨てられました。しかし神様は選ばれた尊い生ける石になりました。神様はイエス様を礎石として霊の家を建てられます。その家はイエス様に従う弟子たちの集まりであり、神様が自ら設計し建てられる教会です。私たちが生ける石になられるイエス様に出て行く時、私たちも生ける石のように霊の石として建てられるのです。また神様が喜ばれる供え物をささげる聖なる祭司になるのです。イエス様を信じて従う者たちに、イエス様は宝物になります。しかしイエス様を信じず、聞き従わない者たちにイエス様はつまずきの石、妨げの石になるのです。
Ⅱ.すばらしいみわざを宣べ伝えるためなのです(9,10)
 「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。」(9a)この御言葉はクリスチャンたちがどんな存在であるのかをよく話してくれます。祭司は民たちのたましいのために祈り、彼らを神様に導く者です。祭司の職分が美しく尊いのは、人々の霊的ないのちを生かす職分だからです。聖徒たちは神様が自ら選び立てられた神様の祭司たちです。それも普通の祭司ではなく、王である祭司です。神様が私たちをこのように尊い者にさせた理由は何ですか。それは私たちをやみの中から驚くべき光の中に招いてくださったイエス様のすばらしいみわざを宣べ伝えるためなのです。

祈り:主よ!私を王である祭司として立ててくださったことを感謝します。私が熱心にイエス様のみわざを宣べ伝えます。

一言:私は王である祭司



2003年 04月 15日 (火)

ペテロノ手紙第一2:11-25
善を行なっていて苦しみを受け

Ⅰ.肉の欲を遠ざけなさい(11,12)
 クリスチャンたちはたましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなければなりません。実際の生活で善を行なうことで、私たちを批判する不信者たちを、裁きの日に神様に栄光を捧げるようにしなければなりません。不信者たちは私たちの言葉より行ないを見守ります。
Ⅱ.主のゆえに従いなさい(13-17)
 クリスチャンたちは神様にだけに従ったからと言って、人が立てた政府や社会制度に対して反抗しやすいのです。しかし信者たちは主のために統治者たちに従わなければなりません。クリスチャンは自由人ですが、その自由を悪の口実に用いずに、神様の奴隷として用いなければなりません。クリスチャンたちは全ての人を敬い、兄弟たちを愛し、神様を恐れ、王を尊ばなければなりません。
Ⅲ.善を行なって苦しみを受け、それを耐え忍びなさい(18-25)
 私たちが主人に服従する身分であれば、彼らに従わなければなりません。善良で優しい主人だけではなく、横暴な主人に対しても従わなければなりません。曖昧な苦難を受けても、善を行なうことで苦しみを耐え忍ぶならば、これは神様に喜ばれることなのです。しかし罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょうか。イエス様は何の罪もありませんでしたが、罪人のように木にかけられました。イエス様は全ての苦しみを耐え忍ばれました。その結果、私たちが罪の赦しを受け、新しいいのちを得たのです。私たちはイエス様を見習って、曖昧な苦しみを受ける時に、耐え忍ばなければなりません。悪人たちと一緒になって争うのではなく、善をもって悪に勝たなければならないのです。

祈り:主よ!私が肉の不品行を捨て善を行ないます。

一言:イエス様のあしあとを追って


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