14Genesis2M 人をご自身のかたちとして創造された神様
14genesis2m, 人をご自身のかたちとして創造された神様, 2014年創世記第2講, 張パウロ, 人をご自身のかたちとして創造された神様御言葉:創世記, 3要 , 節:創世記, 「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。 」, みなさんは東京スカイツリーにのぼったことはありますか。日本が誇る世界で一番高い電波塔!!東京スカイツリーは日本の建築技術の集大成ともいわれている構造物です。人々はその電波塔のスケールと雄大な形に感動します。しかし、これを誰がつくったのかを知る人は意外にも少ないです。東京スカイツリーは、事業主の東武鉄道、設計者の日建設計、施工者の大林組が一体になってつくりあげた傑作品です。日建設計は社内で東京スカイツリーのデザインを決定させるために、社内でコンペを開きました。その中で、いい案を絞って事業主の東武鉄道と何度も打ち合わせをしました。電波が阻害されにくく、地デジ放送の他に、ワンセグやマルチメディア放送といった携帯機器向けの放送を快適に視聴できるようにすることが建設目的とされました。この建設目的に沿って、今の場所で今の形の東京スカイツリーになりました。また、高所での風の影響や強い地震などに耐えられるよう関係者が知恵を出し合って丈夫で素晴らしい傑作品が誕生しました。しかし、この世において一番の傑作品は、人です。なぜならば、人は神のご自身の形として創られた、唯一の被造物だからです。これは、人が動物や他の被造物とは違う存在で、神様と特別な関係にあるという証拠です。そして、神様は、人に他の被造物や自然界を支配せよという重要な使命(ミッション)を任されました。私たちが、本文のメッセージを通して、神様にかたどって造られた人としての存在価値と存在目的を学び、神様が喜ばれる生き方ができるように祈ります。26節をご覧ください。“神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」”, 神様が人を造られた時は、他の被造物とは違う点があります。まず、神様が複数形になっており、互いに相談された点です。人は貴重な存在なので、最高に良いかたちとしてつくるために、三位一体である神様、イエス様、聖霊様が相談されました。もう一つの違いは、神様のかたちとして、神様に似せて、私たち人間をつくられた点です。他の被造物は神様が御言葉だけでつくられましたが、私たち人間は、神のかたちをもった特別な存在としてつくられたのです。, それでは、神様のかたちとは、いったいどのようなものでしょうか。神様は、人間と同様な外面的な形をしているのでしょうか。この箇所は、神学者の中でも議論が絶えない難しいところです。しかし、私たちが聖書全体をよく理解すると、神の形というものがどんなものなのか浮かびあがると思います。神のかたちとは目に見える外形よりは神の品性を指しています。それでは、人間は、どんな点で神様のかたちに似ていますか。先ず、人がもっている神様のかたちの一つは、霊です。人は、肉体と理性の意外に霊を持っています。人間は霊的な存在です。ヨハネの福音書4:24節では、“, 神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。”と書いてあります。私たちは、霊によって神様に礼拝することができ、祈ることができます。聖霊の感動により、この世が御言葉によってつくられたことが判ります。また、聖霊により自分がアダムの堕落した罪の本性をもっていること、イエス様の十字架の血潮だけが私たちを永遠の滅びから救うことができることも悟るようになります。人間は、この世でどれだけ贅沢で良い生活を送ることが出来ても霊的に満たされないと, 根本的に喜びを感じることはできません。ヨハネの福音書3章を見ると、二コデモというユダヤ人の指導者がいました。彼は、バリサイ人として神様の律法に詳しく、世の名誉や富をも得ていました。しかし、御霊によって生まれ変わっていなかったとき、彼の人生は空しく、喜びがありませんでした。 サマリアの女は、5回も結婚を繰り返しながら男の愛をもとめました。しかし、彼女の心は喜びで満ちているところか渇ききっていました。こんな彼女が、真の礼拝の対象であるイエス様に出会ったとき、聖霊の体験をして喜びで満たされるようになります。これは、神の愛を体験できたからです。私たちが聖書を読むと感動し、祈るときに胸が熱くなって主に感謝をささげることができるのは、聖霊との交わりがあるからです。次に、神のかたちとして考えられるのは愛です。人はいつ、大きな幸せを感じるでしょうか。それは、金持ちになったときでも、有名(名誉)になったときでもありません。人は愛するときに一番幸せを感じます。他人が大きな悲しみや困難にあったときに、わたしたちは心を痛め、助けようとします。2011年の東日本大地震の爪痕で、多くの人が悲しみの中にいたとき、世界中の人々は精一杯義援金を集めました。家族や家をなくした人のために現地に駆け付けて炊出しをしたり、あらゆる方法で慰めた人も少なくありません。去年、フィリピンが台風で甚大な被害を受けた時には日本UBFでも昨年クリスマス礼拝に彼らのために心をこめて献金しました。人間の愛も素晴らしいですが、神様の愛はわたしたちの想像を超えます。神様は、ひとりごイエス様を十字架の上で死なせるほどに私たちを愛してくださいました。イエス様は、あなたを捨てて死なせようとした人たちを愛しました。イエス様を苦しめ、釘づけた兵士はもちろん、宗教指導者、群衆のためにイエス様は祈りました。, “父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。”, わたしたちがこのイエス様の愛を受け入れるとき、真実に愛することができます。また、人はどんな点で神に似ていますか。感謝することが出来る点も人でしかできないことです。感謝する気持ちは、人々に感動に与えます。この他に知性、感情、自由意志と良心があり、創造活動をし、言葉をもって議論することも神様に似ている人間の大きな特長と言えます。28節をご覧ください。“神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」”神様は、人を観賞用としてつくられたのではありません。人にはっきりとしたミッションを与えてくださいました。ひとつ目は、生きている間、子供を生み、子孫をたくさん増やすことです。そして、神様が造られた自然界と生き物を支配するように命じられました。“支配せよ”という命令は、生き物の上に立ちなさいという意味ではありません。被造物を、使命感をもってよく管理せよという意味なのです。管理者には、オーナーである神様が委託されたすべてを忠実に管理することが求められます。ホテルの支配人のような役割です。神様は自然界や動物などの生き物をうまくマネジメントするように全権大使として人をたてられました。現代を生きているわたしたちは、神の被造物をよく管理しているのでしょうか。人たちは20世紀に入って経済成長を目標に掲げて無慈悲な開発に走ってきました。その結果、自然界は人間に怒りを発しています。地球温暖化、集中豪雨や砂漠化によって、地球は悲鳴をあげています。そして、人間がつくりあげた文明に警告しています。私たちが再び“地を従えよ、生き物を支配せよ”という神様の御言葉に耳を傾け、神様のつくられた被造物をよく管理できるように祈ります。イエス様が来られた新約時代には、新しいミッションがあります。福音を知らないまま罪とくらやみのまみれになっている人たちにいのちの御言葉、福音を宣べ伝えることです。今年、東京UBFの新年のメッセージでも神様は命じられました。“みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。”(?テモ4, 2)今年もいままで以上に日本の霊的な環境は良くないかもしれませんが、わたしたちが時が良くても悪くてもしっかり御言葉を宣べ伝えるように祈ります。神様は、私たちにミッションだけを与えたではありません。29、30節をみると、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木を人とすべての生き物の食物として与えたことがわかります。人々は最初のころは、草食をするようにつくられたことがわかります。肉食をするようになったのは、アダムが罪を犯した後のことです。神様は、わたしたちに種類にしたがって、野菜と果物などを足りないことのないように用意してくださいました。創造の原理から考えても加工食品より、新鮮な野菜や果物などを種類にしたがって摂取することが健康の素となります。31節をご一緒に読んでみましょう。“神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。夕があり、朝があった。第六日”, 神様は、最後に人間をつくられた後、すべてのものをご覧になってすごく感動しました。 “見よ、それは非常によかった” わたしたちは神様から見るに非常に良い存在です。誰ひとり、良くない存在はいないのです。日本人も、アメリカ人も、韓国人も、その他のどの人種も神様が見て尊い被造物なのです。 私はUBFでいろいろな方の人生所感を聞きました。自分の存在価値、生まれてきた意味を分からずさ迷っていた方が多くいたことを覚えています。「生まれて来なかった方がいいのに!」「お母さん!なぜ私を生みましたか?」とうめき悲しんだ告白をよく耳にしました。これは、神様の前でどのような存在ないのかを悟ることが出来なかったからです。聖者アウグスティヌスは、神様に出会ってから次のようにかたりました。‘主よ。あなたはあなたのために私たちを造られました。従って、私たちがあなたを発見する前には、私たちの心の中には安息がありませんでした。’ 神様を私たちが発見し、神様を迎え入れる前にはどこもがいばらの道であり、白い砂場であり、私たちの憩いの場所は見つけることができないのです。, 私たち一人ひとりは、神様にとって非常に良い存在です。これは進化論では説明できない私たち人間の存在意味、存在価値なのです。今年御言葉のくじ引きをしたとき、わたしにイザヤ書43, が当たりました。, “わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。”, 私はこの御言葉を黙想すると、神様の愛に包まれたよ うな満足感を感じました。主の豊かな愛を感じて胸がいっぱいになりました。2章に1〜3節に入ります。神様は六日間天と地を創造し、七日目にそのわざを休まれました。神様が疲れたから、休んだわけではありません。創造活動を完成させる意味の休止です。神様はこの七日目を祝福され、聖なる日とされました。わたしたちも六日間、自分の場所で一所懸命働き、主日を聖なる日として過ごさなければなりません。六日間、神様がよくしてくださった恵みを覚えて感謝をもって礼拝しなければなりません。七日目は、夕があり朝があったという御ことばが見当たりません。六日目の朝でとまっています。この記述は、私たちが行くべき天国でこの安息が続くことの暗示です。私たちは、この世の終わりに、暗闇の一欠けらもない天国でひかりである神様に礼拝しながら永遠の安息を憩うことになります。今日のメッセージをまとめましょう。私たちは神様にかたどってつくられた非常に尊い存在です。そして、私たちは神様の被造物の管理をおこなう代理人であり、福音を宣べ伝える全権大使です。私たち一人一人が、神様のかたちが刻まれた素晴らしい存在であることを感謝して主に喜ばれるわざを担うことができるように祈ります。