聖書別日ごとの糧   >>   創世記[2025]

2025年 03月 06日 (木)

創世記18:1-15(14)
サラの不信仰を咎められた主

神様が二人の御使いと共に、旅人の姿でアブラハムのもとに訪ねて来られました。アブラハムは、自分の天幕に訪ねて来たお客さんたちの所に走って行き、丁重にもてなしました。おいしそうな子牛をほふって、豊かにもてなしました。「多くの国民の父となる」という神様の望みを自分のものにしてから、アブラハムはどんな人でも受け入れるようになり、仕える愛と献身的な心の人に成長していました。それで今回も、何としてでもお客さんを喜ばせようと、心を尽くして仕えました。そのようにすることで、彼は知らないうちに神様と御使いたちをもてなしました。

神様は、アブラハムのもてなしを受けてから、来年の今ごろ必ずアブラハムのところに戻って来ること、そしてその時、サラには、男の子が生まれていると言われました。しかし、サラは、アブラハムと自分は年を重ねて老人になっており、自分には女の月のものがすでに止まっていた状況を考えて、心の中で笑いました。これは不信仰から出る笑いでした。神様は、そんなサラに「主にとって不可能なことがあるだろうか」という信仰を植えつけてくださいました。神様は岩から水が出るようにし、枯れた杖から芽が出るようにされるお方であり、約束を必ず守る真実なお方です。この神様を信じて祈るなら、必ず全能なる神様の能力を体験します。



祈り:主よ、自分の人間的な条件を見ては、嘆いたり、あきらめたりしていたことを悔い改めます。全能なる神様を信じて頼ります。

一言:主にとって不可能なことがあるだろうか



2025年 03月 07日 (金)

創世記18:16-33(23)
アブラハムのとりなしの祈り

神様はアブラハムから盛大なもてなしを受けてから言われました。「わたしは、自分がしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。」アブラハムが霊的に幼かった時、神様がなさろうとすることを知らず、たびたび神様を信じることができず、誤解もしました。しかし、多くの国民の父となるために鍛えられた後は、神様が御旨を隠さず話せる相手、神様の同労者となりました。神様はアブラハムに、罪が極めて重くなっているソドムとゴモラをさばくことを教えてくださいました。

ソドムに対するさばきを聞いたアブラハムは、正義と公正を行われる神様を信じてとりなしの祈りをささげました。アブラハムはとりなしの祈りを通して、ソドムに十人の正しい人がいれば滅ぼさないという約束を神様から頂きました。神様は、公正を行い、真実を求める者を見つけたら、その町を赦してくださる方です(エレミヤ5:1)。それを考えると、一人の正しい人がどれほど大切な存在であるかがわかります。私たちがアブラハムのように、この時代のためにとりなしの祈りをささげること、そして、一人に福音を伝えることは、一つの町や国を救う偉大なことです。



祈り:主よ、今まで他人に無関心に生きてきたことを悔い改めます。とりなしの祈りをささげ、福音を伝える者として成長するように導いてください。

一言:人のために祈る者


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