2025年 05月 05日 (月)
祝福されたヤコブ
エサウは、イサクの祝福を受け継ぐことの出来る内面性を持っていませんでした(25:34、26:34-35)。このようなエサウに長子の権利の祝福を譲ることは、神様の御旨ではありませんでした(25:23)。それでもイサクがエサウに祝福を譲ろうとしたのは、伝統と自分の好みをもとに考えたからです。彼はエサウが作った美味しい料理を食べてから、彼を祝福しようとしました。これを聞いたリベカは、ヤコブをエサウのように変装させ、イサクの好みの料理を作って、ヤコブの手に持たせ、イサクの前に行かせました。イサクはヤコブをエサウだと思い込み、心から祝福しました。結局、ヤコブは神様の祝福を全て受けるようになりました。イサクが霊的に分別する力が疎くなった時、リベカは神様の御旨通りに祝福が受け継がれるように心を尽くしました。リベカがこのようにした理由は、二人の子供が胎内にいた時「兄が弟に仕える。」と神様が仰せられたからです(25:23)。
エサウは霊的な事柄に対して無関心で、神さまを慕い求める心がありませんでしたが、ヤコブはアブラハムに与えられた契約を継承する人になりたがっていました。それで、どうしても、その祝福を父イサクから得たいと切望しました。リベカの思慮分別とヤコブの霊的な望みは私たちが学ぶべき点です。只、彼らが完全に神様を信じたなら、嘘をつかなくても、神様がその御旨を成し遂げられたことでしょう。
祈り:主よ、あなたを慕い求める心を私にも与えて下さい。神様の祝福を受ける信仰の器となれるように祈ります。
一言:主を慕い求める心
2025年 05月 06日 (火)
声を上げて泣いたエサウ
イサクがヤコブを祝福し終わると、エサウが帰って来ました。彼はおいしい料理をこしらえて、父の所に持って来て、自分を祝福してほしいと頼みました。驚いたイサクは、ヤコブが自分を騙し、全ての祝福を受け取ってしまったことを話しました。エサウは声の限りに激しく泣き叫び、自分も祝福してほしいと懇願しました。イサクは、ヤコブが兄の主となり、全ての物質的な祝福も持つようになると、はっきり言いました。エサウはイサクに「お父さん、祝福は一つしかないのですか。」と泣いて訴えました。しかし、イサクは、余分な祝福はないと言い、エサウの未来に対して話しました。地の肥沃はなく、上から天の露もない、乾いた地で住み、剣によって生き、弟に仕えることになるというものでした。エサウは自分の祝福を奪ったヤコブを恨んで殺そうとしました。これを知ったリベカは、ヤコブを兄ラバンの所に行かせることにしました。兄の憤りが収まるまで、暫らくそこに留まるようにさせました。兄の所に行かせたのは、ヤコブの結婚とも関係があります。リベカは、エサウがヒッタイト人の娘たちを娶ったせいで、生きているのが嫌になり、喜びも失ってしまう程でした。
エサウは、自分が祝福を失ったのはヤコブのせいだと言いました。しかし、彼が祝福を奪われた根本的な原因は、彼自身が神様の祝福を軽蔑し、俗悪に生きていたからです。彼は豆の煮物の一皿で長子の権利を売り、父母を悩ませるヒッタイト人の娘たちを娶りました。彼は祝福を受けられるような生き方をしていませんでした。私たちが神様の祝福を失うのは、誰のせいでもありません。一瞬の運がないからでもありません。普段の自分の生き方と内面性と価値観の結果なのです。私たちは平素から神様に喜ばれる生き方をするように努めなければなりません。そうするならば、決定的な瞬間に神様の祝福が受けられます。
祈り:主よ、不運を嘆いたり、人のせいにしたりしていたことを悔い改めます。私のうちにある俗悪な価値観をきよめてください。主に喜ばれる生き方ができるように私を変えてください。
一言:主に喜ばれる内面性
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