2024年 11月 09日 (土)
悲しみを克服するダビデ
アブサロムの死によるダビデの悲しみは、簡単には消えませんでした。これによって、反乱軍を鎮圧した民たちは士気が落ち、散らばり始めました。ダビデは息子を失った悲しみを早く克服し、命をかけて戦った民たちを慰める必要がありました。それで、ヨアブはダビデの元へ行き、私的な感情を克服し、民心を取り戻すように激励しました。ダビデは彼の提案を受け入れ、門のところに座って民たちに会いました。その時、民たちもダビデに心を開き、もう一度ダビデをエルサレムの宮に迎えようと心に決めました。
ダビデは自分でエルサレムの帰還を進めずに、祭司ツァドクとエブヤタルを通してユダの長老たちとアマサにメッセージを送り、反逆事件の後、分裂した民心を一つにしようと苦労しました。その時、ユダ族の人々が心を一つにし、ダビデの帰還に尽力してくれました。一方、ダビデがエルサレムに戻る時、ベニヤミン族出身のシムイとツィバも、ダビデの元に来て、ひれ伏しました。シムイは、ダビデがアブサロムを避けて逃れているとき、彼を呪った者であり(Ⅱサム16:7)、ツェバは混乱を利用して自分の主人メフィボシェテの財産をかすめ取った者です(Ⅱサム16:3)。しかし状況が変わると、ダビデのところに訪ねて来て、赦しを求めました。ダビデは、このような機会主義者たちをも赦し、受け入れました。民心を得て、民たちを一つにしようとする広い度量で、全ての人々を抱いたのです。指導者は個人的な悲しみと憎しみの感情を克服しなければなりません。個人的な生活よりも、国全体を顧みて、民たち全てに気を配ることが指導者に求められます。イエス様も、ご自身を十字架につけた者たちまでも赦されることで、神の御国を築き上げられました(ルカ23:34)。
祈り:主の働き手として私的な感情を克服すべきことを悟ります。主が委ねてくださったものを忠実に担うために今日も同労者たちを家族のように愛しながら、ともに働けるように祈ります。
一言:私的な感情を克服し、広い心を持とう
2024年 11月 10日 (日)
ダビデを迎える忠臣たち
シムイとツィバは機会主義者であり、ダビデがエルサレムから離れた時と戻った時の態度が完全に異なりました。それに対して、メフィボシェテとバルジライは変わらず忠実にダビデに仕えました。メフィボシェテはヨナタンの子で、シムイと同じベニヤミン族の出身でした。彼は王が出て行った日から戻ってくるまでの間、自分の足の手入れもせず、ひげもそらず、着物も洗いませんでした。ダビデと苦しみを共にしたのです。真実な愛は、自分が必要な時に現れて言葉だけかけるのではなく、苦難の時に、共に痛みを分かちあうことです。
メフィボシェテは自分の足が不自由であることがダビデの重荷になると思い、ダビデと共に逃げることができませんでした。その弱点を利用して、彼のしもべツィバは、主人が王位を狙っていると中傷し(16:3)、彼の財産を奪い取りました。メフィボシェテの話を聞いたダビデは、メフィボシェテとツィバが地所を分け合うように命じました。メフィボシェテは、全ての地所を取り返せなかったにもかかわらず、ダビデを恨みませんでした。彼の関心は財産ではなく、王の安全な帰還にあったので、地所の所有権をみなツィバに譲りました。メフィボシェテは、父ヨナタンと同じく、内面が純粋で忠実な人でした。
バルジライは八十歳の高齢にも関わらず、ダビデの帰還を助けようと出て来ました。彼は状況に関わらずダビデを支えました。ダビデはエルサレムでバルジライに恩を施すことを願いました。しかし、バルジライは王からの報酬を望まず、ただ王と共にヨルダン川を渡ることだけで満足しました。「受けることよりも与えるほうが幸いである」(使20:35)とあります。私たちが主の御業に仕える時、報酬に縛られずに、純粋な真心と忠実さで仕えるのが望ましいです。神様の御業を任された者に求められるのは、忠実であることです(Ⅰコリ4:2)。
祈り:主よ、状況にかかわらず、あなたが委ねてくださった働きを忠実に担うことができるように助けてください。
一言:変わることのない忠実
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