聖書別日ごとの糧   >>   エゼキエル書[2024]

2024年 08月 03日 (土)

エゼキエル書3:4-27(17)
わたしがあなたを見張りとした

もしわが身に危険が迫っているのに、それを警告してくれる人がいなかったら、どうなるでしょうか。危険が迫っているのに気づかずにそのまま死んでしまうでしょう。神様はイスラエルの民たちがこのような目に遭わないように、エゼキエルを見張りとして遣わされます。エゼキエルを遣わすとき、神様はエゼキエルの顔と額を彼らと同じように堅くする、と言われました(8)。これは神様がエゼキエルに必要なものを前もって準備させたということです。神の言うことを聞こうとしないイスラエル全家の鉄面皮のような顔と向き合えるように、また心がかたくなになっている彼らを恐れないように、神様はエゼキエルの顔を火打石よりも堅いダイヤモンドのようにされたのです(9)。エゼキエルは頑固で、険悪な表情をする民たちの顔に怯むことなく、ただ神のことばだけを大胆に宣べ伝えれば良いのです。

神様はエゼキエルをイスラエルの家の見張りとした、と言われます(17)。見張りの使命は神のことばを聞いて、それを神様に代わって民に警告を与えることです。神様が悪者に『あなたは必ず死ぬ』と言われたのに、見張りが悪者に悪の道から離れて生きるように語らず、何も警告しないなら、その悪者は自分の不義のために死にます。そして、神様は彼の血の責任を、警告を与えなかった見張りに問われるというのです。見張りが警告を与えても、相手がその悪を悔い改めず、悪の道から立ち返らないなら、その悪者は自分の不義のために死ななければなりませんが、使命を果たした見張りのほうは自分のいのちを救うことになります。神のことばを聞いて悔い改め、その悪の道から立ち返るかどうかは全て聞く側にあります。神様は私たちをこの時代の見張りとして立ててくださいました。私たちには神のことばを宣べ伝えることで、罪の中にいる人たちに警告を与える使命があるのです。相手の反応や結果は神様に委ね、私たちは見張りとしての使命に専念しましょう。  



祈り:主よ、恐れに打ち勝ち、大胆に神様の御言葉を伝え、死んで行く者たちを生かすのに尊く用いられるように助けてください。

一言:私たちは霊的な見張り


<<(1)    前のページ(2)    3    次のページ(4)    (33)>>

聖書別日ごとの糧