聖書別日ごとの糧   >>   エゼキエル書[2024]

2024年 10月 11日 (金)

エゼキエル書28:1-26(2)
あなたは人であって、神ではない

 神である主はエゼキエルを通して、ツロの王とシドンに向け、裁きのメッセージを伝えます。ツロの王は人であって、神ではないのに、心高ぶって『私は神だ。海の真ん中で神の座に着いている』と言いました。それは、多くの知恵を使って富を築いたからでした。それゆえ、神である主は、最も横暴な異邦の民を連れて来て攻めさせます。彼らはツロの知恵に向かって剣を抜き、輝きを汚し、ツロを穴に投げ入れます。国々の民のうちでツロを知る者はみな、ツロのことで唖然とし、恐怖に陥ります。全きもの典型であったはずのツロに主の裁きが下されるとき、シドンも一緒に裁かれます。彼に疫病が送り込まれ、そのちまたには血が流れ、四方から攻められ、剣で刺し殺されます。

 そんな中、イスラエルの家は、散らされていた国々の民の中から集められます。イスラエルの家にとって、突き刺すいばらも、侮るとげもなくなります。彼らはこれから諸国の民の目の前で、神である主のしもべヤコブに与えた土地に住みつくことになります。彼らはそこに家々を建て、ぶどう畑を作り、安らかに住みながら、主こそが彼らの神であることを知るようになります。

高慢は敗亡への道です。知恵と財宝をたくさん手にしたとき、人は自分自身が誰であるかを忘れてしまい、まるで自分が神にでもなったかのような錯覚をしてしまいます。これは、物質主義と人本主義によって、傲慢になった今日の現代人の姿です。高慢な人は、自分がこの世の中心であり、神のような存在だと錯覚して生きています。しかし、人は人であり、神ではありません。これを知らなければなりません。神である主こそ、まことの神であることを知り、その御前で謙虚に生きることが、真の知恵であり繁栄の道なのです。



祈り:主よ、私の心に高ぶりが生じたら、すぐに悔い改め、謙遜な神様の子どもとして生きるように助けてください。

一言:人は人であり、神でありません


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