聖書別日ごとの糧   >>   エゼキエル書[2024]

2024年 10月 15日 (火)

エゼキエル書32:1-32(15)
わたしが主であることを知る

32章は、25章から続いた諸国の裁きについての最後の預言です。神である主はエゼキエルに、エジプトの王ファラオについて哀歌を唱えるように命じられました。ファラオは大海の巨獣のような凶暴な存在でした。彼は多くの軍隊で隣の国々を苦しめました。誰も彼を防げませんでした。しかし、神である主は、網を打ちかけ、地引き網で引き上げ、空の鳥と獣に投げ与えられます。そのとき、エジプトのしかばねは谷を満たし、山々と谷川はその血で満たされます。エジプトのいのちが滅び去ったことを聞く多くの国々の民たちは、心痛み、おののき、彼らはみな、自分のいのちを思って震えが止まりません。バビロン王の剣によって、エジプトの大軍はみな滅ぼし尽くされ、エジプトの地は荒廃化し、全住民も打たれます。そのとき、彼らは神が主であることを知るようになります。

エゼキエルに、再び主のことばがありました。エジプトとそのすべての力強い国々はバビロンの剣で刺し殺されます。その墓の回りには、剣で刺し殺された者、無割礼の者たちがともに横たわっています。彼らはアッシリア、エラム、メシェクとトバル、エドムとその王たち、すべてのシドン人の君主たちであり、勇敢な勇士たち、国を助けた者たちでした。神である主は、バビロンの剣をもって、彼らを刺し殺し、エジプトと同じ運命をたどらせます。穴に下る者たちとともに、彼らは自分たちの恥辱を負わなければなりません(30)。エジプトもこの無割礼の者たちとともに横たわります。これは、この世のすべてを治めておられる神である主が彼の高ぶった心を打ち下し、罪を裁くからです。どんなに強い権力を持っていても、神である主を認めず、高ぶるのなら、必ず砕かれます。



祈り:主よ、あなたが公正で正しいことを行われるので、全ての人が、あなたが主であることを知ることができます。イエス様が私たちの恥辱を穴に下ってまで担ってくださったことを感謝します。

一言:神こそ主である


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