聖書別日ごとの糧   >>   エゼキエル書[2024]

2024年 10月 16日 (水)

エゼキエル書33:1-20(11)
悪しき者が生きるために

神様はエゼキエルをイスラエルの見張りとされました。人々が見張りの警告に聞き従わないのなら、その人たちは剣でいのちを討ち取られます。もし見張りが、自分の仕事に不誠実で、角笛を吹き鳴らさず、民に警告をしないなら、彼はその責任を問われます。神様は警告を、(敵の)剣に対してだけでなく、罪に対してもなされます。それで、見張りは主の口からのことばを聞いて、主に代わって、悪しき者にその道を離れるよう警告しなければなりません。もし、見張りが神様からのことばを聞いていながら警告をしないなら、悪しき者はその咎のゆえに死にますが、その血の責任は、見張りが問われます。見張りの責任は重大です。私たちクリスチャンは、現代の見張りとして、主から与えられた御言葉を人々に伝える責任があります。

神様がご自分の民に警告を与えられる理由は何でしょうか?それは、 神様が悪しき者の死を喜ばないからです。むしろ悪の道から立ち返り、生きることを喜ばれます。それで、神様は警告を与えて下さるのですが、イスラエルの民は、「私たちの背きと罪は私たちの上にのしかかり、そのため私たちは朽ち果てた。私たちはどうして生きられよう(10)」と言って警告を恐れました。しかし、警告を聞き入れて自分の罪から立ち返るなら、悪しき者は朽ち果てることなく、むしろ生きるようになります。罪から立ち返った人は、生き方が変わります。公正と義を行い、質物を返し、かすめた物を償い、不正を行わず、いのちの掟に従って生きるようになります。そのような生き方が神の民の生き方です。神様がそのひとり子を世に遣わされたのは、罪の中にいた私たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためでした(ヨハネ10:10)。悪しき者のために救いといのちの道を備えてくださった神なる主を賛美し、ほめたたえます。



祈り:父なる神さま、厳しく聞こえる御言葉は、罪人を救うためのいのちのことばであることを学びます。私が日々、素直にみことばを受け入れ、正しく生きることが出来るように助けて下さい。

一言: 警告のことばは、いのちのことば



2024年 10月 17日 (木)

エゼキエル書33:21-33(31)
聞いても実行しようとしない

エゼキエルたちが捕囚となって十二年目の第十の月の五日、エルサレムからのがれた者が、彼のもとに来て、「町は占領された」と言いました。バビロンの王ネブカドネツァルによって主の宮と王宮とエルサレムのすべての家は焼かれ、城壁は全部取り壊されました(エレミヤ52:12-14)。その時、エゼキエルは絶望することなく、主のことばを伝えました。イスラエルの廃墟となった地に住む者たちは、「アブラハムはひとりでこの地を所有していた。私たちは多いのに、この地を所有するように与えられている」と言っていましたが、主は、そんな彼らに、「血がついたままで食べ、偶像崇拝をし、血を流し、自分の剣に拠り頼み、忌み嫌うべきことをし、隣人の妻を汚していながら、この地を所有しようとするのか。」と言われました。主は、その廃墟にいる者たちは必ず剣と獣と疫病で死ぬと言われました。その地を荒れ果てさせ、荒廃した地とすると言われました。その時、彼らは神様が主であられることを知るようになります。人は、徹底的にさばかれるまでは、罪の深刻さと神様を理解しない愚かな存在です。

イスラエルの民は主のことばを聞いても、それを実行しようとはしませんでした。彼らは、口では恋をする者でしたが、心は利得を追っていました。エゼキエルが神様の御言葉を伝えると、音楽に合わせて美しく歌われる恋歌のように、それを聞きました。でも、御言葉を実行に移すことはしませんでした。御言葉からかけ離れた実生活をしていました。しかし、御言葉が実現した時、彼らは、自分たちの間にひとりの預言者がいたことを知るようになります。神様のさばきを受けてから悟る人は愚かな人です。私たちは主の御言葉を聞く時、すぐに受け入れ、悔い改めなければなりません。



祈り:父なる神さま、いのちの御言葉を感謝します。誇らしげに自分の力に頼らず、あなたの御言葉を毎日実行できるように助けてください。

一言:御言葉を行う人になろう


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