聖書別日ごとの糧   >>   アモス書[2025]

2025年 04月 12日 (土)

アモス書7:1-9(5)
どうぞおやめください

 神様はアモスに幻を見せてくださいました。一つ目は、いなごによる災いです。アモスは主に祈りました。「神、主よ。どうかお赦しください。ヤコブはどうして生き残れるでしょう。彼は小さいのです。」アモスは、イスラエルが神様の恐ろしい裁きに耐えられないので、赦してくださいと執り成しています。すると、神様は思い直してくださいました。二つ目は、燃える火による災いです。アモスは、またも主に祈りました。「神、主よ。どうかおやめください。ヤコブはどうして生き残れるでしょう。彼は小さいのです。」今回も、神様は思い直してくださいました。彼は今まで自分の民にさばきのメッセージを伝えましたが、今はとりなしの祈りをしています。彼は心から民を愛する良い牧者でした。神様はアモスの祈りを喜ばれ、御心を思い直されました。この時代にもアモスのようなとりなしの祈りをする牧者たちが必要です。

三つ目の幻では、主は手に下げ振りを持ち、下げ振りを使って築かれた城壁の上に立っておられました。下げ振りとは、柱や壁が垂直に立っているかを測る建築道具です。下げ振りを垂れ下げて見たら歪んでいました。歪んでいる所は高き所、聖所、ヤロブアムの家でした(9)。高き所には偶像が、聖所にはバアルが、ヤロブアムの家には金の子牛が置かれていました。これらは神様の下げ振りで測ってみると、見過ごせない忌み嫌われるものでした。イスラエルは自分の思い通りにヤロブアムの道に歩み、ベテルで金の子牛の偶像を拝みました。間違った礎の上に建てられたものはすべてが歪んでいました。神様はこの罪に対し、二度と見過ごさないと言われます。人々は自分が置かれている環境の中で、自分の都合に合わせて、自分の目に良いように判断して暮らします。ところが、終わりの日に神様は聖書の御言葉の通りに、下げ振りを手に持って、私たちの真ん中に垂れ下げられます。その時、世の価値観の上に築き上げたものはことごとく崩れ落ちます。



祈り:主よ、私がアモスのようにこの国の民のためにとりなしの祈りをささげる牧者になるように助けてください。

一言:とりなしの祈り



2025年 04月 13日 (日)

アモス書7:10-17(15)
主が預言せよと言われた

 アモスが神様からのメッセージを伝えた時、それを聞きたくないと思っていた人がいました。ベテルの祭司アマツヤです。アマツヤはヤロブアム王によって任命されたべテルの祭司でした。ベテルはイスラエルの主要都市です。金の子牛を拝む聖所として、王の聖所とも、王宮ともされていました(13)。ヤロブアムは政治的な目的のためにベテルに王宮を置きました。王に信頼され、権力をも持っていたアマツヤは、ヤロブアム王にアモスを告発しました。告発の内容は、アモスが謀反を企てているというものでした。また、ヤロブアムは剣で死に、イスラエルはその国から必ず捕らえられて行くという我慢できないでたらめなことを言っていると伝えました。さらにアマツヤは、王の権力を利用してアモスにきつく言いました。「ベテルでは二度と預言するな」と。自分の国でもない所で、しかも王宮の前で、一体何をしているのかと、責め立てたのです。

 そこで、アモスは答えて言いました。「私は預言者ではなかったし、預言者の仲間でもなかった。私は牧者であり、いちじく桑の木を栽培していた。(14)」自分は、祭司家の者でも、預言者学校の出身でもない平凡な平信徒でしかないと証ししています。大事なのは、そんな平信徒を神様が召され、御言葉を伝えるために遣わしたということです。「主が私にこう言われた。『行って、わたしの民イスラエルに預言せよ』と。」(15)神様は羊の群れを追っていた彼を力強い御手で選び抜き、預言者として立てて下さいました。アモスは、神様が自分を召して預言者として立ててくださったことを自覚し、はっきりと表明しました。そして、アマツヤに対する裁きを余すところなく伝えました。彼の妻は遊女となり、子どもたちは剣で倒れ、彼の土地は分割されます。彼は汚れた地で死に、持っているものをすべて失うことになります。



祈り:主よ、私を聖書の先生として召してくださったことを感謝します。私がどんな状況でも大胆に御言葉を教えるように助けてください。

一言:御言葉を証しせよ


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