2024年 10月 30日 (水)
罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれる
その日に罪と汚れをきよめる一つの泉がダビデの家とエルサレム住民のために開かれます。この泉は、究極的には十字架でイエス様が流された御血を指します。罪と汚れは、私達にとって聖なる神様との交わりを不可能にさせます。しかし十字架で流されたイエス様の御血は、私達の罪と汚れをきよめてきれいにします。すると、きよい主の御霊が私達の内に住まわれるようになります(ヨハネ7:38,39)。その日に、罪と汚れをきよめる泉を許して下さった神様は、偶像の名を断ち滅ぼして覚えられなくします。また、にせ預言者たちと汚れた霊をその地から取り除かれます。偶像崇拝と偽預言者たちの背後には、偽りの霊どもが存在します。偽預言者たちは、神様の御言葉を伝えないで自分の言葉を神様の御言葉のように伝えます。神様を喜ばせるのではなく、人々の欲望を満たす言葉を言います。神様はこれらすべてを取り除かれ、真の神様に正しく仕えながら生きるように助けてくださいます。
神様は「わたしの羊飼い」、「わたしの仲間」を打ち殺します。「わたしの羊飼い」「わたしの仲間」とは、神様と深い人格的な関係性を持っている存在のことで、究極的にはイエス・キリストを指します。神様は私達の全ての罪と咎をイエス様に負わせました(イザヤ53:6)。神様が羊飼いを打たれると、羊たちは散って行きます。しかし神様は散って行った羊たちのために、あわれみを施されます。小さな群れを残し、その手を小さい者たちに向けます。全地の三分の二は断ち、三分の一を残されます。神様はその三分の一を火の中に入れ、銀を練るように練り、金をためすようにためされます。神様は彼らを火のような試練の中で鍛練し、あらゆる不純物を取り除き、美しい神様の御姿にまで彫刻して育ててくださいます。そして神様は彼らに向かって「これはわたしの民」と言われます。私達をこの時代に残りの者として召し、イエス様の御血と火のような試練を通して聖なる神様の民として造り上げて下さる神様に感謝します。
祈り:主よ、私をイエス様の御血できよめ、火のような試練で練ってくださり感謝します。私を聖なる民として造り上げてください。
一言:泉と火で
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