2024年 10月 31日 (木)
主は地のすべてを治める王
神殿建築が中断され、混乱が増す現実にて、人々はどのように現実の痛みを克服し、再び起き上がって神殿を建てることが出来るのでしょうか。それは「主の日」が来るからです。「主の日」はメシアの再臨の日のことです。その日、裁きと救いの御業が起こります。現実は難しくても、信仰の中心を堅く守った者たちは残りの民となって救われるようになります。その日に主ご自身が戦われ、敵の国々を打たれます。神、主が来られ、すべての聖徒たちも、主とともに来ます(5)。その日には昼も夜もなく(太陽も月もなく)主ご自身が光となられ、明るくし、いのちの水が流れ出るようになります(7,8)。その日に主が地のすべてを治める王となられ、主も、その御名も、唯一となります。
その日、全地が低くなる中、エルサレムは高められ、そのまま残ります(10)。再び人が住むようになり、もはや絶滅することなく、安らかに住みます。それだけではなく、その日に敵たちは裁かれ、その中の残りの者たちは、万軍の主であられる王を礼拝しに、エルサレムに上って来ます(16,17)。礼拝しに上って来ない者たちには、主からの災害が下ります。その日を待ち望む聖徒たちは、どんな生き方をすべきですか。主への聖なるものとして生きるべきです。その日に「エルサレムとユダのすべての鍋は、万軍の主への聖なるもの」となります。つまり、鍋のような日常のものでさえ、全て聖いものになるのです。「その日」を慕い求めながら聖なる生活を生きぬくべきであることを言っています。礼拝や聖書勉強だけが霊的な時間ではありません。生活の全てが、主への礼拝となります。日常の難しさを前にしながらも、万軍の主であられる王の統治を受けながら、聖なる生き方をしてゆくべきです。
祈り:主が万軍の王として来られる日を待ち望みながら、聖なる生き方をすべきことを学びます。私のどんな小さな日常の場面にも、主をお招きして、主とともに一日一日を紡いでいけますように。
一言:主は唯一、御名も唯一
<<(1) 前のページ(12) (13)>> |