聖書別日ごとの糧   >>   ヨハネ[2024]

2024年 09月 07日 (土)

ヨハネの福音書21:1-14(12)
さあ、朝の食事をしなさい

 イエス様は、再びディベリア湖畔でご自分を現されました。弟子たちはよみがえられたイエス様と出会ったものの、彼らの生活は同じでした。弟子たちは漁をしに舟を漕ぎましたが、一晩かけても収穫はありませんでした。岸にはイエス様が立っておられましたが、弟子たちは誰なのか気づきません。イエス様は彼らが魚をうまく釣れなかったことをご存知でした。そして舟の右側に網を打つように命じると、なんとおびただしい数の魚がとれました。ペテロはようやくイエス様だとわかると、上着をまとい、湖に飛び込んでしまったのです。

 岸辺ではイエス様が朝食の用意をしておられました。暖かい炭火とパンがあり、とってきた魚で温かい食事を弟子たちは取ることができました。弟子たちはイエス様を前にして恥ずかしい気持ちがあったかもしれません。よみがえられたイエス様と出会い、罪の赦しを伝える役目を任されていたにも関わらず、彼らの日常は変わりませんでした。イエス様と出会う前と同じように魚を獲る人生であり、人をとる漁師ではありませんでした。恥ずかしさと申し訳なさが入り混じったような彼らにイエス様は温かい食事でもてなされたのです。それは彼らの心を温め、またいつでも彼らを温かく愛しておられるイエス様の心でもありました。イエス様はいつも弟子たちに対して愛情を向けておられます。いつでも愛情をかけ、いつでも期待し、いつでも同じように温かく接していて下さいます。私たちクリスチャンもどこか弟子と同じではないでしょうか。日常生活、食べてゆくために弟子のように働き詰めになってしまっていて、主に対して申し訳なさを感じてはいないでしょうか。弟子を責めない主はあなたを責めているのではありません。温かい食事、温かいみことばで日々、迎えて下さるのです。あなたの今日はこのキリストの温かさに触れているでしょうか。



祈り:クリスチャンと言いながらも、日常はいつも同じことの繰り返しをしていて主の働きが乏しく、申し訳なく思う私の心に、主が温かく接してくださることを感謝します。あなたの愛に平安を覚えます。

一言:キリストの温かさ



2024年 09月 08日 (日)

ヨハネの福音書21:15-25(15)
私を愛していますか

 食事を済ませた時、イエス様はペテロに質問をしました。「ヨハネの子、シモン。あなたはわたしを愛していますか。」この質問にペテロは明確な返事をすることができません。主がご存じです、とペテロらしからぬ萎れた言いぐさです。かつてイエス様のためなら死ぬことさえもいとわないと豪語したのに、自分の身に危険が迫るやイエス様を3度も知らないと否定したことが引っかかっていたのでしょう。なんとなく責められている思いがしたかもしれません。そして、イエス様との問答は3度も繰り返されました。ペテロは心を痛めて返事します。「主よ。あなたはすべてをご存じです。あなたは、私があなたを愛していることを知っておられます。」

 イエス様はペテロの答えをどうこうとは返されず、ただ「私の羊を牧しなさい」とお願いをされます。そしてペテロのこれからの行く末を示唆するような話をされました。イエス様はペテロの気持ちをご存じだったのでしょう。そして、大切なイエス様の羊をペテロに託されました。イエス様の羊を牧すること、それがイエス様への愛の表現になるのです。ペテロは自分のイエス様への信仰について自信を持てなかったかもしれません。愛すると言ってもそれが口だけのものになるのを恐れていたかもしれません。しかし、彼はイエス様の命令に従いました。死ぬまでイエス様の羊を牧し続けた彼の生き様が、彼のイエス様への愛を示しています。私たちはイエス様への愛をどのように表しているでしょうか。言葉で言うことも大事でしょう。ペテロのようにイエス様の羊を牧することも、イエス様への愛の表現です。あなたがキリストの愛を携えて牧する兄弟姉妹はどこにいるでしょうか。あなたは今日キリストの愛を誰に伝えますか。



祈り:私のような移り気な者にも、イエス様は大切な羊を任せてくださることを感謝します。キリストの愛をどうか私の生活に関わる大切な人に伝えてゆくことができるようにお助けください。

一言:わたしの羊を牧しなさい


<<(1)    前のページ(16)    (17)>>

聖書別日ごとの糧