聖書別日ごとの糧   >>   申命記[2022]

2022年 09月 14日 (水)

申命記9:1-29(5、6)
立派だから祝福を受けたのだろうか

 神様は誰も立ち向かうことのできないアナク人を追い出し、その地にイスラエルを導き入れました。しかし、ともすると自分たちの正しさのゆえに地を所有できたのだと思ってしまいます。自分たちが立派だから祝福されたと思うかもしれません。その点について、神様ははっきりと言われます。彼ら、イスラエルの民が正しいからではありません。むしろ彼らはうなじのこわい民です。神様は「私があなたがたを知った日から、あなたがたは主に逆らい続けてきた。」と言われます(24)。神様は彼らを幾度となく滅ぼそうとしました。その度にモーセはとりなしをしました。

 神様がイスラエルのことを我慢されその地に導き入れた理由は、第一に、これらの国々の邪悪さのゆえです(4、5)。その国々の偶像崇拝と淫乱などの罪が限界レベルを超えたからです。第二に、神様がアブラハム、イサク、ヤコブになさった誓いを果たすためです(5、27)。神様がなさった約束があるので、ここで御民を滅ぼすことは神様の真実と大いなる力と御名を傷つけることになるからです。なので、いくら大きな祝福を受けたとしてもイスラエルは誇ることができません。何の行いもなく受けた恵みに対し、ただ感謝し自分の罪深さに心痛めるしかありません。私たちも同じです。自分が正しいから、立派だから祝福を受けたのではありません。自分自身から出たことは何一つなく、神様からの賜物です。もっと謙遜に、砕かれた心をもって祝福を担いきれるように祈ります。



祈り:立派だから祝福を受けたのではないことを認めます。一方的な神様からの賜物を感謝します。

一言:あなたが正しいからではない


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