聖書別日ごとの糧   >>   ヨシュア記[2009]

2009年 11月 03日 (火)

ヨシュア記2:1-24
遊女ラハブの信仰

 イスラエルの二人の斥候が、エリコの遊女ラハブの家に隠れていました。すぐに彼らの正体が明らかになり、敵に追われるようになりました。その時、ラハブは斥候を屋上に連れて行き隠しました。もしこのことが発覚すれば、自分を始め家族全員が殺されるようになります。それでも彼女は神様と神様の民の側につきました。
 彼女は本来偶像崇拝者であり、卑しい生活をしていました。ところが彼女は葦の海(紅海)をからされ、エモリ人の二人の王を聖絶された神様について聞いた時、イスラエルの神様こそ、上は天、下は地において神様であることを悟りました(10)。しかし彼女が主である神様を自分の神様として受け入れるためには、同族を裏切る痛み、いのちの危険を犯す冒険をしなければなりませんでした。彼女は決定的な瞬間に神様と神様の民の側に立ちました。神様はこのような彼女を喜ばれ、後にエリコをさばかれる中でも救ってくださいました。またメシヤの系図にその名を載せるほどに、その人生を祝福してくださいました。
 アブラハムも神様の召されを受けた時、生まれ故郷、父の家を離れなければならない痛みを克服しました。ヤコブとヨハネもイエス様の召されを受けた時、父に対する情を克服し、すぐに聞き従いました。彼らはみな血肉より神様の召されを優先にしました。神様は彼らを神様の救いの御業に尊く用いてくださいました。私たちも神様の救いの御業の中で尊く用いられることを願うなら、情と欲を十字架につけて、まず神の国とその義とを求めることに、力を入れなければなりません。

祈り:主よ!遊女ラハブのように、どんな犠牲が伴っても、神様と神様の民の側に立つように助けてください。

一言:神様の側に立つ


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