聖書別日ごとの糧   >>   ヨシュア記[2023]

2023年 09月 11日 (月)

ヨシュア記10:1-15(14)
主がイスラエルのために戦われた

エルサレムの王がアモリ人の4人の王たちと連合してギブオンを打とうとしました。ギブオンがイスラエルと和を講じてイスラエルの味方になったからです。ギブオンは王国の都の一つのように大きく、このままではカナン族たちがイスラエルに投降することを懸念したためです。これをあらかじめ防ぐために、アモリ人の連合軍が陣を敷き、戦いを挑みました。ギブオンの人々はヨシュアに助けを求めました。ギブオンは元々カナン族ですから、ヨシュアが彼らを助ける義理はありません。また、これまではエリコとアイのように一つの町を対象にした戦いでしたが、この戦いは五人の王の連合軍との厳しい戦争になる可能性もありました。しかし、ヨシュアは責任をとって、兄弟になった彼らを助けようとしました。それが神様の名前を汚さない道でもあったからです。

出征するヨシュアに神様は「彼らを恐れてはならない。わたしが彼らをあなたの手に渡したからだ。あなたの前に立ちはだかる者は彼らの中に一人としていない。」と仰せられました(8)。御言葉で勇気づけられたヨシュアは、アモリ人たちを襲いました。神様は彼とともにして下さり、天から彼らの上に大きな雹の石を降らし、彼らを殺しました(11)。イスラエル人が剣で殺した者よりも、雹の石で死んだ者のほうが多かったのです。神様はイスラエルのためにわざわざ先に立って戦われました。神様が戦えば、五人の王たちの連合軍も相手になりませんでした。しかし日が沈んできました。暗くなればこれ以上戦うことができず、目の前で復讐する機会を逃してしまいます。しかし、ヨシュアはここで止めず、完全に復讐するまで戦うことを望みました。そこで、彼は太陽がギブオンの上にとどまり、月がアヤロンの谷でとどまるようにと神様に祈りました。神様は彼の祈りに答えてくださいました。神様が先頭に立って戦われる戦いに自分のすべてのものを注ぎ出すヨシュアを喜ばれました。



祈り:主が戦われるとき、天地万象でさえも動かされることを学びます。わたしの狭い視野によってではなく、主に頼りながら、日々の重荷と戦えますように祈ります。

一言:太陽よ、ギブオンの上で動くな



2023年 09月 12日 (火)

ヨシュア記 10:16-43(40)
みな聖絶した

 ヨシュアはエルサレムとアモリ人の5人の王たちの連合軍を撃破して、その王たちの首を踏みつけました。その後のイスラエルの戦いは破竹の勢いでした。神様がすべての王たちとその地とを一度に攻め取るようにされました(42)。ヨシュアの戦いの特徴は何だったでしょうか。第一に、一人も残さない戦いでした。ヨシュアはマケダをはじめ、リブナ、ラキシュ、ゲゼル、エグロン、ヘブロン、デビル、ネゲブの王たちを打ち、聖絶しました。勝利して敵を捕虜に取ったのではなく、すべてを聖絶し、ひとりも生き残る者のないようにしました。これは、その民族の悪影響、すなわち偶像崇拜と人本主義、快楽主義の勢力を完全に打ち滅ぼしたことを意味します。捕虜にすることで得られる有益もありますが、現実の利益に捕らわれずに聖絶することで、神様のみに仕える新しい時代を開こうとしました。

 第二に、神様に捧げる戦いでした。ヨシュアはすべての城を聖絶して、神様に捧げました。カナンの征服戦争は神様の戦いであり、神様が先頭に立って戦い、勝利するように助けてくださったからです。ヨシュアはすべての栄光を神様に捧げました。イスラエルの神様が彼らのために戦いましたが、ヨシュアも神様のために戦いました。神様の導きに従い、徹底的に神様の方法で戦いました。神様はヨシュアを通して、約束の地を一気に攻め取るようにされました。戦いの勝敗は神様にかかっています。神様だけが私たちを勝利へと導かれます。悪影響を徹底的に取り除き、神様の栄光のために進む時、神様は私たちに迅速な、しかも完全な勝利を与えてくださいます。



祈り:わたしの日々の信仰の戦いは生ぬるく、徹底したものでないことを知ります。速やかにことを行われる神様を信じて、主の後について今日の日も信仰によって力強く歩めるようにお助けください。

一言:徹底的に戦いましょう


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