聖書別日ごとの糧   >>   列王記Ⅱ[2004]

2004年 11月 16日 (火)

列王記第二4:1-7
やもめの油のつぼ

Ⅰ.あなたの家にはどんな物があるか(1,2)
 預言者のともがらの妻のひとりが問題を抱えてエリシャに出て行きました。彼女の夫は主を恐れ敬う神様のしもべでしたが、死んでしまいました。彼は犠牲的な生活をしましたが、死んだ後には負債だけが残りました。彼女はその負債のために二人の子どもを奴隷として引き渡さなければならない危機に処せられました。本当に痛々しいことです。エリシャは彼女を助けるために、そのやもめにあるもの、持っている物を基礎にして助けようとしました。「何をしてあげようか。あなたには、家にどんな物があるか、言いなさい。」(2)やもめの家には油つぼ一つしかありませんでした。それはあまりにもみすぼらしく思えます。しかしエリシャはあるもので働きました。私たちがないものを探せば悲しくなります。私たちはあるものを探して、働かなければなりません。
Ⅱ.隣の人みなから、器を借りて来なさい。(3-7)
 やもめの答えを聞いたエリシャは彼女に、外に出て隣の人みなから器を借りて来なさいと言いました。からの器を借りて来る際に、一つや二つではなく多く借りて来るように言いました。これは神様に対する大きな望みと信仰と持てということです。神様が多くくださることを期待して信じなければならないのです。彼女はエリシャの言葉に従いました。その時、器ごとに油が満たされ、負債を返済し、豊かに生活できました。大きな望みと信仰を持っていれば、多く受けるようになります。神様は「あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう。」と言われました(詩81:10)。

祈り:主よ!私が神様に小さく期待してたことを悔い改めます。大きな望みと信仰を持つように助けてください。

一言:神様に大きな望みと信仰を持とう



2004年 11月 17日 (水)

列王記第二4:8-17
エリシャに仕えたシュネムの女

Ⅰ.神様のしもべに繊細に仕えたシュネムの女(8-10)
 エリシャはあっちこっちと多くの場所を旅しました。大部分の人々は彼に仕えることより仕えられようとしました。しかし本文のシュネムの女はむしろエリシャに繊細に仕えました。この女は貴族でお金持ちでしたが傲慢ではありませんでした。謙遜と仕えの女でした。彼女はエリシャのために寝台と机と椅子と燭台が準備された部屋を用意しました。おかげでエリシャは何不自由なく御言葉の研究に集中することができました。彼女にはエリシャを聖なる神様のしもべとしてみる霊的な洞察力と恐れ敬う心がありました。
Ⅱ.子どもをプレゼントしたエリシャ(11-17)
 シュネムの女の仕えを受けたエリシャは彼女から何も頼まれませんでしたが、彼女のために何かをして上げようとしました。彼の弟子であるゲハジが彼女には子どもがいないことを話すと、エリシャは女に子どもを産ませると約束しました。女は年をとった夫と自分の身の上を考えると、エリシャの言葉を到底信じることができませんでした。しかしエリシャの言葉通りに、果たして彼女が身ごもり、その時から一年後に女は子どもを産みました。
 神様は神様のしもべにまごころこめて仕えた者を尊く思い、その人が考えるもの以上にあふれるほど祝福してくださいます。神様のしもべに対してめったなことを考えると、罰が伴い、尊く思えば賞が伴うのです。

祈り:主よ!私が仕えられることより、神様のしもべの必要なものを繊細に知り、密かに仕えるしもべになるように助けてください。

一言:きっと神の聖なる方に違いありません。



2004年 11月 18日 (木)

列王記第二4:18-37
死んだ子どもを生き返らせたエリシャ

Ⅰ.エリシャに助けを求めたシュネムの女(18-28)
 シュネムの女の子どもが大きくなって少年になりました。ところがある日、この少年が刈り入れ人といっしょにいる父のところに出て行った時、「頭が痛い」と言いました。家にいた母親のもとに子どもを連れて行きましたが、子どもは死んでしまいました。シュネムの女は突然の子どもの死の前で、理性を失い、悲しみと絶望に陥ってしまいやすかったのです。しかし彼女は子どもを生かすために、エリシャのために作った部屋の寝台に連れて行って寝かせました。それを夫に知らせずに、神様の人エリシャに尋ねて行きました。それは彼女の心に神様だけが彼女の子どもを生かすことができるという信仰があったからです。
 私たちはこの女のように危機と絶望の時に悲しみと暗い考えに陥ることより、また世の人に走り寄るより、まず神様を信じ、主のしもべに祈りを求めなければならないのです。
Ⅱ.子どもを生き返らすエリシャ(29-37)
 エリシャは女の言葉を聞いてゲハジを送りました。しかし女の切なる頼みによってエリシャも一緒に行くようになりました。ゲハジがまず行って子どもを生かそうとしましたが、できませんでした。エリシャは子どもが横たわっている部屋に入り、神様に切に祈りました。そして子どもの上に身を伏せました。エリシャは子どもを生かすために信仰によって挑戦しました。神様はエリシャの祈りを聞かれ、死んだ子どもを生かしてくださいました。神様は信仰の祈りを蔑視されません。

祈り:主よ!私が絶望の時、悲しみと恐れに陥らず、神様を信じ、主のしもべに祈りを求める者になるように助けてください。

一言:神様は死んだ者も生かされる



2004年 11月 19日 (金)

列王記第二4:38-44
群衆を食べさせるエリシャ

Ⅰ.死の毒を取り除いたエリシャ(38-41)
 エリシャが再びギルガルに帰って来たとき、その地にききんがあり、食べるものがなく、人々は大きく苦難を受けていました。エリシャは大きなかまに煮物を作るように言いました。ところが一人が野生のうりを切り込んで、煮物に入れました。彼らは煮物をおいしそうに食べましたが、釜に毒が入っているのを知り、悲鳴をあげ、食べることができませんでした。それでエリシャは麦粉を持って来るようにいい、釜に投げ入れました。すると驚くべきことに鍋の中にあった毒がなくなりました。神様から離れた人間は罪の毒が体中に広がり、死ぬしかありませんでした。しかし神様はこのような人間にひとりごイエスさまの血をふりかえることで、どんな罪の毒であっても取り除いてくださり、役に立ち、生命力が満ち溢れる人に変えてくださいます。
Ⅱ.大麦のパン二十個で百人を食べさせたエリシャ(42-44)
 ある人がバアル・シャリシャから来て、初穂のパンである大麦のパン二十個と一袋の新穀とを持ってエリシャにささげました。神様はエリシャにこれで百人を食べさせなさいと命じられました。エリシャは神様の御言葉をそのまま信じ、聞き従って群衆の前に施しました。すると果たして御言葉通りにみな食べて、あり余りました。このようにして神様はききんの時にも、食べる物を供給してくださいました。神様は私たちの供給者になってくださいます。また神様は私たちがささげた小さな物で多くの人を食べさせてくださるのです。

祈り:主よ!私がどんな経済的な問題の前でも萎縮せずに、私たちの供給者になられる神様を信じることで生かしてください。

一言:ききんの時にも食べさせてくださる神様


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