聖書別日ごとの糧   >>   詩篇[2021]

2021年 05月 10日 (月)

詩篇37:1-20(3)
地に住み、誠実を養え

不正な方法で、多くのお金を儲ける人がいます。お金持ちの彼に、多くの人々が頭を下げ、満ち足りて安楽な老後を過ごします。反面、真実で誠実な生き方をして来たのに、時ごとにお金の心配をし、苦労して生きる人もいます。世の中を見ると、悪を行う人はさばきを受けるどころか、むしろ早く出世し、成功し、華やかに生きている場合が多くあります(7)。悪者は義人をあざ笑い、敵対視します。義人は、正しく生きつつ、そのような悪者たちがうまくいく世の中、これを許容する神様に不満をもらすことがあります。怒りがこみ上げ、正しくない人を妬み、羨ましいとさえ思います。自分がバカで、みすぼらしく見えることもあります。しかし義人は、悪を行う者のために不満をもらしたり、妬んだりする必要はありません。神様の御前で、静かに耐え忍び、待ちます。悪者の成功は永遠に続くかのように思えますが、草のようにたちまちしおれてしまいます。誰も予想できない患難と飢饉の日が突然来ます。悪を行う者には終わりが来ます。悪者が義人に向けて剣を抜くことは、自分自身をつき刺す無知で愚かな行為です。反面、主を望む人は地を手に入れます。神様は全き人の日々を知っておられます(18)。彼らのゆずりは永遠に続きます。悪者の豊かさより、義人の人生を生きる義人の乏しい所有がもっと良いです。また安全で、永遠で、誇らしいです。主は誠実な方です。誠実に、義人と悪人の道をご覧になり、世の中を主管しておられます。私たちの目に見えない今も、義人と悪人の日々を知っておられる誠実な神様がおられます(13,18)。義人は、主の誠実を養わなければなりません。「養う」とは食べる者にエネルギーといのちと喜びを与えます。不義な現実を見れば力が抜け、疲れた時、食物をよくかむように、その誠実を静かに黙想するなら、もう一度、善を行う力が生じます。不平と不満が消え去ります。私の道を主にゆだね、成し遂げられることに期待し、待つことができます。私の心の望みを成してくださり、私の義を光のように現される神様によって、喜びが沸き上がります。静かに耐え、待ち望み、義の道を揺れ動かされることなく、歩むことができます。



適用:真実な主を仰ぎ見ていますか

一言:主に頼り、善を行え



2021年 05月 11日 (火)

詩篇37:21-40(24)
主が、その人の腕を支えておられるからだ

 悪者は借りて、返すことをしません。借りた物は、当然返さなければならないのに、借りた物さえも返さないのなら、自分のものを差し出すことは、期待できない人です。彼は他の人に対する関心、配慮、仕え、分け与えること無しに生きています。徹底的に自分だけのために生きます。自分の成功と出世のためだけに行い、さらに多くの富を得るために貪欲を抱き、さまざまな悪を行います。しかし義人は、日々、時あるごとに恵みを施し、貸し与えます(21,26)。余裕があって施すのではなく、疲れた人、憐れな人が見えると、そのまま放っておけないのです。金銭的な助けはもちろんのこと、時間をとって話を聞き、祈り、助言をします。それでいつも忙しく、他人の苦痛さえも抱いて苦労します。それは、愚かで、損してばかりの人のようにも思えます。金銭と時間を損し、何の役にも立たない苦労をしているようにも思えます。しかし老年のダビデは、この時まで生きてきながら、義人が捨てられることや、その人の子孫が食べ物を乞うのを見たことがない、と言います。義人が祝福されるのを見ました。誰からどんな祝福を受けるのですか。彼は与え施しながらも、施した物より多くのものを受けます。名誉とお金と人を得ます。彼が倒れると、人々は心から心配し助けます。何より神様が祝福してくださいます。神様が喜ばれる道を歩くその腕を支えてくださいます。神様が支えてくださるので、倒れても転倒することはありません。本当にしっかりとした祝福を受ける人生です。施して与える人生、仕える生活を神様は喜ばれます。その生活は、私と私の子孫が祝福を受ける道です。

 義人の心には、神様の御教えがあります。心から神様の御教えを愛し、黙想し、聞き従おうとします。その口には知恵があり、その舌は正義を話します。その歩みは神様の御教えから離れず、悪の道でつまずくことがありません。神様は義人を守ってくださいます。



適用:何が私の道を安全に支えてくれると思いますか

一言:主が支えてくれる人生を生きよう


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