聖書別日ごとの糧   >>   イザヤ書[2006]

2006年 06月 30日 (金)

イザヤ書20:1-6
時代のしるしとなったイザヤ


Ⅰ.御言葉に徹底して従ったイザヤ(1,2)

 アッシリヤの王サルゴンが軍の長官を派遣し、アシュドデを攻め取りました。その年に主がイザヤに言われました。「行って、あなたの腰の荒布を解き、あなたの足のはきものを脱げ。」(2)。この御言葉は、「はだかになって、はだしで行け。」という意味です。この御言葉がいくら神様の御言葉であっても、聞き従いづらいものでした。しかしイザヤは三年間、裸になり、はだしで歩いて、御言葉を伝えました。彼は徹底した従順の人でした。彼は神様がどんな御言葉を言われても、それがたとえ人から見ると恥ずかしいことであっても、聞き従うことを、少しもためらいませんでした。神様はこのように聞き従う者を貴く用いられます。

Ⅱ.時代のしるしと、前兆になったイザヤ(3-6)

 イザヤが裸になり、はだしで歩いたことはどんな意味があるのでしょうか。神様はイザヤをエジプトとクシュに対してのしるしと前兆として立てられたのです。神様はイスラエルが頼っていたエジプトとクシュが将来戦争の捕虜となり、裸になり、はだしになって、大きな羞恥を受けることを、イザヤを通して見せてくださいました。これは、イスラエルが神様にだけ頼るようにしたことです。このようにイザヤは自分の同族が救われる道であるなら、どんなことにも従順して、その時代のしるしになりました。

 神様は、私たちが神様の御言葉に徹底的に聞き従うことによって、この腐敗した時代のしるしとして生きることを、願われます。


祈り:主よ!私が、主から命じられる御言葉が何であっても聞き従うことで、この時代のしるしになるように、助けてください。

一言:時代のしるし


<<(1)    前のページ(14)    15    次のページ(16)    (53)>>

聖書別日ごとの糧