聖書別日ごとの糧   >>   イザヤ書[2006]

2006年 07月 11日 (火)

イザヤ書32:1-8
正義の王


Ⅰ.正義によって治める王(1)

 イザヤが生きていた時代に、王たちは正しくなく、そのため民たちは苦難を受けました。このような時代にイザヤはメシヤが統治するビジョンを見ました。

「見よ。ひとりの王が正義によって治め、」ここで、一人の王はメシヤを指します。メシヤの統治は正義と平和が特徴的です。また指導者が正しいために、全ての閣僚と公務員たちは賄賂を受け取らず、公義によってつかさどります。それでこの国ではお金やコネが必要ではなく、ただ正義だけが認められます。

Ⅱ.安息と知恵をくださる王(2-8)

 メシヤは風とあらしを避ける隠れ場のようであり、砂漠にある水の流れ、かわききった地にある大きな岩の陰のようです。世の王たちから風やあらしのような虐待に苦しめられた者たちと、砂漠やかわききった世の中で疲れ果てた者たちが、この王に出て行きさえすれば、本当の安息と平安を得ることができます。

 またメシヤは人々に神の霊をくださり、神様に対する知識を悟らせてくださいます。見る者は心の目が開かれ神様を見るようになり、聞く者は耳を傾けて神様の御言葉によく従うようになります(3)。気短な者が真理を知らない愚かさから抜け出し、本当の知識を悟るようになります(4)。この時、私たちは分別力が生じ、しれ者が高貴な人と呼ばれることがなくなります。またどもりの舌もとかれ、はっきりと早口で神様の御言葉を伝えることができるようになります。


祈り:主よ!不義な世の中に苦しめられた私たちが正義の王、安息の主である王を慕い求めます。私たちを公平によって治めてください。

一言:正義の王イエス・キリスト



2006年 07月 12日 (水)

イザヤ書32:9-20
霊を注いでくださる神様


Ⅰ.のんきで心配事がない女たち(9-13)

 エルサレムが滅亡したのには、女たちの責任が大きいのです。当時女たちはのんきでした(9-11)。働くことを嫌いました。女がのんきならば、男ものんきになり、その子どもたちものんきになります。のんきは全ての悪の温床です。

 また心配事がありませんでした。大体責任感がない人には心配事がありません。女たちは自分の体をおしゃれすることと、子どもたちに対しては神経を多く使うことがあっても、御業と世の流れに対しては無責任になりがちです。しかし女はもっと大きな責任を持って、もっと大きなことをしなければなりません。女がどのようにするのかによって、男たちと、その集まりと、御業がかかっています。繊細で責任感がある女だけが家庭を生かし、国を生かし、人類を生かすことができるのです。

Ⅱ.上から霊が私たちに注がれ(14-20)

 エルサレムは神様のさばきによって荒地になります。しかしその後には回復され、神様の祝福を受けるようになります。

 その祝福は何でしょうか。「ついには、上から霊が私たちに注がれ、」(15)。神様が上から私たちに聖霊を注いでくださいます。その時荒野が果樹園となり、その果樹園には神様の義が住むようになります。御霊が臨む時、荒野のように荒れ果てた私たちの心が義と平和と平穏と信頼をもたらす美しい畑になります(17)。


祈り:主よ!私の心がひどくのんきで、平安と安息がありません。私を憐れんでくださり、上から聖霊を注ぎ、潤わせてくださり、平和と安息をください。

一言:悔い改めれば、聖霊が臨む


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