聖書別日ごとの糧   >>   イザヤ書[2006]

2006年 07月 13日 (木)

イザヤ書35:1-10
見よ、あなたがたの神を


Ⅰ.見よ、神は来て(1-4)

 イザヤが生きていた時代の民たちは荒野や砂漠のようでした。弱く、恐れおののきました。しかしイザヤは、荒野と砂漠が楽しみ、砂漠がサフランのように花を咲かせ、喜び、神様の栄光と威光を見るようになると歌います(2)。また弱くなった手を強め、よろめくひざをしっかりさせ、心騒ぐ者たちに「恐れるな」と歌います。彼が絶望の代わりにこのようなビジョンを持つことができたのは、彼らを救ってくださる神様を仰ぎ見たからです(4)。私たちが救い主を仰ぎ見れば、どんな逆境も打ち勝ち、人々を慰め、望みを植える者になれるのです。

Ⅱ.そのとき(5-10)

 救い主が来られれば、盲人の目は開かれ、耳しいた者の耳はあけられ、足なえは鹿のようにとびはね、おしの舌は喜び歌うようになります(5,6)。また荒地に川が流れ、焼けた地は沢となり、豊かな生活をするようになります。そしてそこを、汚れた者、旅人も愚か者も、獅子も猛獣も入ることができない、ただ贖われた者たちだけが歩むことができる聖なる道ができます。そしてその道で神様に贖われた者たちが帰って来て、喜び歌い、頭にはとこしえの喜びをいただき、楽しみと喜びを得るようになります。嘆きと悲しみは永遠に逃げ去ります。この全てのことがイエス・キリストによって成就するようになりました(マタ11:4,5)。誰でもイエス様を信じる者は鹿のようにとびはね、神様を賛美するようになります。


祈り:主よ!福音伝道を通して、砂漠のようなこの世がサフランのような花を咲かせ、神様の栄光が満ちる世になるようにしてください。

一言:サフランのような花が咲く世


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