聖書別日ごとの糧   >>   イザヤ書[2006]

2006年 08月 16日 (水)

イザヤ書53:1-12
私たちの罪を負われたメシヤ


Ⅰ.さげすまれ、のけ者にされたイエス様(1-3)

 イエス様は本来創造主である神様として、全ての被造物から栄光と賛美を受けられる方です。しかしこの地に一人のみどりごとして来られ、生涯罪人たちに仕える生活をされました。このイエス様は砂漠の地から出る根のように、見とれるような姿もなく、見ばえもありませんでした。

 人々はこのようなイエス様をさげすみ、嫌い、のけ者にしました。こうしてイエス様は深い悲しみと病を多く担われました。このイエス様は、苦しむ者、捨てられた者たちの痛みを知っておられるメシヤです。

Ⅱ.私たちの罪と咎を負われたイエス様(4-12)

 イエス様は人々からさげすまれ、のけ者にされ、ついには十字架につけられ、無残な方法で殺されました。イエス様がこのような苦難をお受けになった理由は何でしょうか。「しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。」(5,6)。私たちは咎と罪で傷つき、悲しみを受けなければなりませんでした。いのちを失い(ロマ6:23a)、永遠のさばきを受けなければなりませんでした。ところがイエス様がご自分のいのちを犠牲にして、私たちの咎と罪を担ってくださったことにより、私たちは罪の赦しを受け、永遠のいのちを受けるようになりました。神様と和解して平和を受けるようになり、すべての悲しみと傷から癒されるようになりました(5)。


祈り:主よ!私の咎と罪を担い、新しいいのちをくださった主に感謝します。私は新しいいのちを得たので、私自身も他人の咎と罪を担う生活をするように助けてください。

一言:私のために十字架で死なれたイエス様


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