聖書別日ごとの糧   >>   イザヤ書[2006]

2006年 08月 18日 (金)

イザヤ書55:1-13
渇いている者はみな、出て来い。


Ⅰ.わたしのところに出て来い(1-5)

 神様から離れたイスラエルは喉が渇いた人のようでした。彼らのたましいは満足がなく、苦しんでいました。人々はたましいの渇きを解決するためにさまざまなことを求めます。旅行をし、遊びにおぼれ、飲み食いをして満足を得ようとし、男女間の愛を通して、たましいを満たそうとします。しかしそのようなものはむしろたましいに渇きを与えるだけです。

 神様は「腹を満たさない物のために労するのか。」と嘆いておられます。「わたしに聞き従い、良い物を食べよ。そうすれば、あなたがたは脂肪で元気づこう。」と招いておられます(2)。私たちが主に出て行き、悔い改めて、御言葉を受け入れれば、主は私たちの罪を赦し、御霊をプレゼントしてくださいます。またダビデと同じように、私たちとも永遠の愛の契約を結んでくださいます(Ⅱサム7:14,15)。その時、私たちのたましいはいのちを得て、本当の満足と喜びを得るようになります。

Ⅱ.「主を求めよ。お会いできる間に。」(6-13)

 神様は、会える間に求めよ、と言われます。神様が近くにおられるうちに、呼び求めなければなりません。神様にお会いできる時は永遠にあるわけではありません。なので神様が呼ばわれる時、悪い道と考えを捨てて、神様に立ち帰らなければなりません。そうすれば神様が憐れんでくださり、全ての罪を赦してくださいます。神様の考えは私たち人間の考えよりも高く、御言葉はその通りに成し遂げられます。主に立ち帰る時、御言葉の通りに私たちは安らかに導かれ、祝福されるのです。


祈り:主よ!主の御言葉を離れて生きていたことを悔い改めて、主に出て行きますので、私の渇いたたましいを満たしてください。

一言:渇いている者はみな出て来い


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