聖書別日ごとの糧   >>   イザヤ書[2017]

2017年 09月 26日 (火)

イザヤ書1:1-23(18)
さあ、来たれ。論じ合おう

 イスラエルの外見上の姿は、多くのいけにえをささげ、宗教儀式を熱心に行う姿でした。しかし、彼らは不義を行っていました。正義もなく、公義もありませんでした。指導者たちは賄賂に弱く、民たちを顧みませんでした。何よりも神様の御言葉に耳を傾けませんでした。それでも、彼らは「神様が私たちを愛するなら、どうしてこんなに苦しめられるだろうか」とつぶやきました。それに対して神様は、「さあ、来たれ。論じ合おう」と招かれました。理性的に論じ合うことを提案されました。神様と論じ合うなら、彼らは緋のように赤く、紅のように赤い自分たちの罪を悟るはずです。しかし、神様は彼らを責め立てることなく、彼らの罪を雪のように白くしてくださいます。相手の罪を洗ってあげることは、本当の愛です。物資的に繁栄していても、自分のうちにある罪によって神様との関係が破壊されているなら、真の幸福と自由はありません。神様はイスラエルの罪を洗い流し、聖なる国民に回復させようとされました。

適用:紅のように赤い罪がありますか

一言:白くなる



2017年 09月 27日 (水)

イザヤ書1:24-2:4(2:3)
シオンからみおしえが出

 イザヤは終わりの日になされるビジョンを見ています。主の家の山は、山々の頂に堅くたち、丘々よりもそびえたち、すべての国がそこに流れて来るというビジョンです。主の家の山は、シオンの山を指します。それほど大きくないシオン山が、そびえあがって、世界で一番高い山よりも高くなります。この山にすべての民が集まってくる理由は、そこから神様のみおしえが出るからです。彼らは真理の御言葉に教えられるために雲のように集まってきます。このビジョンは、福音によって立てられる教会の未来を見せてくれています。今日、多くの人が高い山の頂に登ってみますが、救われず、むしろ深い虚無と混乱に陥ります。失望した人々はこの虚しい山から降りてきて、神様の御教えが流れ出るシオンの山に集まってきます。そこで御言葉を学ぶとき、はじめて救いと永遠の命を得るようになります。また真理の御言葉があるところに紛争がなくなり、真の平和が臨まれ始めます(4)。我々の時代は御言葉がなく渇き苦しみます(アモス8:11)。しかし私たち一人一人が御言葉のシオンとして堅く立つ時、世界を救いに導く祝福の源として用いられることができます。

適用:御言葉が流れ出るシオンですか

一言:すべての国々が流れて来る


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