2017年 09月 29日 (金)
主は裁きの座に入る
主は論争するために立ち上がり、民をさばくために立ちます。神様は罪深い民をさばくために、立ちながら最初に長老たちや民のつかさたちに注目されます。彼らに向かって「あなたがたは、ぶどう畑を荒れすたらせ、貧しい者からかすめた物をあなたがたの家に置いている。なぜ、あなたがたはわが民を砕き、貧しい者の顔をすりつぶすのか。」と尋問されます。神様は彼らを指して「ぶどう畑を荒れすたらせた」と叱られました。ここでぶどう園はイスラエルを指しています。神様は、彼らに美しく肥えたぶどう園を預けてくださいました。しかし、彼らはぶどう園をよく耕し、経営する代わりに、ぶどう園を荒れすたらせました。指導者の権威と力によって民を踏みにじり、貧しい者の顔をすりつぶしました。神様はさばきの日に、まずは指導者に責任を問われます。霊的指導者になるというのは、大きな特権であると同時に、大きな責任が伴います。
適用:指導者としての責任をよく担っていますか
一言:さばくために来られます
2017年 09月 30日 (土)
焼き尽くす霊によって汚れを洗い
一方、その日は、残酷な審判の日であると同時に、救いと回復の日でもあります。その日、主の若枝は麗しく、栄光に輝きます。若枝は新しいいのちを象徴します。戦乱が襲い掛かった後には、シオンに残された者がいます。彼らは神様が残した者たちです。彼らは聖と呼ばれるようになります。それは、主がさばきの霊と焼き尽くす霊によって、シオンの娘たちの汚れを洗い、エルサレムの血をその中からすすぎ清めるからです。神様は彼らを清めるだけではなく、彼らとともにおられ、彼らを守ってくださいます。世界が人間の罪のために荒れすたれても、神様はご自分の栄光のために残された者を立てられ、聖霊によって清めてくださいます。その民とともにおられ、守り、導いてくださいます。この神様の摂理と働きを思うと、暗いこの時代にも大きな希望があります。
適用:清められていますか
一言:残された者
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