聖書別日ごとの糧   >>   イザヤ書[2017]

2017年 12月 06日 (水)

イザヤ書 24:1-23(19)
地は裂けに裂け、ゆるぎにゆるぎ

 イザヤは、この世界のさばきは、主によって下され、主の預言に基づいてなされるものであることを明らかにします。主のさばきが下るとき、それは未曾有の仕方で地に訪れ、その破壊は全ての宗教的・社会的特権を無に帰し、社会的地位や貧富の差は消滅します。なぜ、このような審判がなされるのでしょうか。「地はそこに住む者ゆえに汚された」(5)からだと言います。人類が神様との契約を破った場合、呪いが伴うことは、自明のこととして語られています。ここには、罪を犯した者は贖われないかぎり、罪の結果に対する処罰が与えられることが明らかに示されています。
 イザヤはここで、戦争の噂やその開始を告げる声をしばしば耳にしても、主の律法の道を踏み外し続け、悔い改めない祭司や民たちの堕落した姿を見て、ホセヤの預言が成就する時が来たと確信し、この預言を語ったのかもしれません。しかし、ここで下される主のさばきは、戦争にではなく、飢饉です。ぶどうの木はしおれ、ぶどう酒もなく、すべての喜びは薄れ、地の楽しみは取り去られ、町は荒れるに任されるという悲惨な破滅が語られています。ヨハネの黙示録に預言されているように、神様の最後の裁きはいつか必ず起きます。私たちも神様のさばきを意識して生きるべきです。

適用: 神様のさばきがあることを意識していますか

一言: さばきを意識して生きよう


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