聖書別日ごとの糧   >>   イザヤ書[2017]

2017年 12月 07日 (木)

イザヤ書 25:1-12(9)
私たちが待ち望んだ主

 大患難の時、主はユダヤ人の残りの民を守られます。終わりの時に、ユダヤ人はかつてないほどの迫害を受けます(マタイ24章;黙示録12章)。しかし主は、残りの民をご自分が再臨されるまで守られます。そして、この神様の取り扱いは、大患難の時だけでなく、またユダヤ人だけでなく、福音を信じるすべての人に与えられる守りです。福音を信じるとは、自分を貧しくすることです。自分の誇りを捨てることです。自分を主の前に弱くすることです。そのような人に対して主は砦、避け所となってくださいます。
 地上では、高慢な者、騒がしい者、横暴な者が支配していますが、終わりの時には、主が意図されたとおりに地を回復されます。騒ぎや横暴な者たちは完全に静められます。「永久に死を滅ぼされる。神である主はすべての顔から涙をぬぐい、ご自分の民へのそしりを全地の上から除かれる」(8)。とくに、永久に死が滅ぼされます。そして死に伴う悲しみや涙、そしりも取り除かれます。「見よ。この方こそ、私たちが救いを待ち望んだ私たちの神。この方こそ、私たちが待ち望んだ主。その御救いを楽しみ喜ぼう。」(9)。待ち望むことの重要性が書かれています。待ち望んでいるからこそ、今の私たちには希望があり、この希望によって救われているのです(ロマ8:24)。神様はご自分を待つ人々を必ず救われます。神様は待つ人々を失望させません。私たちも、現実の苦しみに耐え忍び、イエス様の再臨を待ち望みましょう。

適用: 涙を流していますか

一言: 神様を待ち望む


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