聖書別日ごとの糧   >>   エレミヤ書[2023]

2023年 10月 21日 (土)

エレミヤ書5:1-31(22)
あなたがたは、わたしを恐れないのか

イスラエルの堕落は、宗教的な部分だけではありませんでした。エルサレムには公正を行い、真理を求める者が一人もいませんでした(1)。彼らは日常生活においても神様の名で誓いますが、実際は偽りの誓いでした(2)。彼らは神様でないものによって誓い、遊女の家に頻繁に集まりました(7)。また、隣人の妻を慕いました(8)。彼らは罠を仕掛けて人々を捕えました(26)。彼らは同族を欺いて富む者になりました(27)。裁判官は、孤児や貧困層の訴えに公平な判決を下しませんでした(28)。一般民だけでなく、彼らを正しく導くべき指導者たちも堕落していました(5、31)。彼らは、牛がくびきを砕いて主人に反発するように神様の律法を踏みにじりました(5)。その結果、どうなりますか。所有者を離れた牛が獅子、狼、ヒョウの餌になるように、彼らはバビロンの軍隊によって略奪を受けます(6)。

イスラエルの人々は罪を犯しながらも、神様の裁きを恐れませんでした。彼らは主なる神様の存在を認めませんでした。存在しない神様が彼らを裁くことはできないと思いました(12)。彼らは預言者たちを通して与えられた神様の裁きの警告を、風のように空虚なものと考えました(13)。悔い改めないので、神様は彼らをバビロンによってさばかれます(15)。しかし、神様はすべてほろぼさないで残りの者を赦されます(18)。神様の懲らしめの目的は、滅びではなく民の悔い改めです。ですので、機会があるとき、悔い改めなければなりません。神様への恐れを回復しなければなりません(22)。主なる神様への畏敬の念を回復しなければならないのです(24)。主を恐れるなら、私たちは悪を憎むようになります(箴8:12)。主を恐れる生活をするなら、公正で謙遜な生き方をするようになります。主を恐れることが、知恵の初めであり、私たちの人生の日数を増やします(箴9:10,10:27)。



祈り:主よ、私のうちに、主を恐れない高ぶる心があるなら、それを教えてください。主を恐れる知恵ある生き方ができるように助けて下さい。

一言:主を恐れることが知恵の初め


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