聖書別日ごとの糧   >>   エレミヤ書[2023]

2023年 10月 22日 (日)

エレミヤ書6:1-30(17)
わたしは命じたのに

預言者エレミヤは、将来臨むバビロンの侵略を預言します(1-8)。なぜイスラエルはバビロンによって裁かれたのでしょうか。井戸が水を絶えず湧き出させるように、エルサレムは、自分の悪を湧き出させたからです(7)。神様は、イスラエルに懲らしめを受けよと言われます(8)。神様の民が神様の勧告を受け入れないのなら、その未来は暗くなります。神様はこう言われます。「私はだれに語りかけ、だれをさとして、聞かせようか。(10a)」ところが、彼らは主の御言葉をそしりだと思い、喜びませんでした(10b)。神様の警告を受け入れないなら、神様の憤りに直面することになります(11)。彼らは預言者たちの悔い改めと裁きのメッセージには耳を塞ぎ、「平安だ、平安だ」と叫ぶ偽預言者たちの言葉には、耳を傾けました(14)。神様は彼らに「いにしえからの通り道、幸いの道はどれであるかを尋ね、それに歩んで、たましいに安らぎを見出せ。」と言われました(16)。ここで、いにしえからの通り道とは、信仰の先祖が歩んだ信仰の道のことです。しかし、彼らは答えました。「私たちは歩まない。」また、神様は見張り人を立て、『角笛の音に注意せよ』」と命じました(17)。見張り人とは、本当の預言者のことですが、彼らは「注意しない。」と答えました。彼らは、神様の警告を聞かず、神様の御言葉に従うのを捨て、形式的な神殿の儀式だけに専念しました(20)。

私たちは神様の御言葉を聞いて従っているでしょうか。御言葉を聞いて従うことがない信仰生活は、停滞の人生です。アブラハムが神の友と呼ばれるほどに成長し(イザヤ41:8)、祝福された人生を歩んだのは、「あなたの父の家を離れ」なさいという御言葉に従ったからです。私たちは信仰によって無条件的に救われましたが、その後の信仰の成長は、御言葉への従順なくしてありえません。



祈り:主よ、従いにくい御言葉に出会うことがあります。しかし、もし主が私に個人的に与えて下さった御言葉であるなら、私が謙遜にその御言葉を受け入れ、従うように助けてください。

一言:主のことばを聞いて行う


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