聖書別日ごとの糧   >>   哀歌[2018]

2018年 08月 21日 (火)

哀歌1:1-22(1)
ああ、この町は

 「どうして」しか言葉が出てこないような悲しみを経験したことがあるでしょうか。「主よ、どうしてこんな苦しみを与えるのでしょうか。」失った苦しみ、絶望の苦しみ、避けることができなかった悲しみに直面した時、どうすべきでしょうか。「苦しみの問題を取り扱う際、哀歌は神様から離れていることに対する罪悪感よりも、この方に対して抱く罪悪感に伴う絶望を導きだす。」とある人は言っています。苦しみを無条件に避けることではなく、主の御前に出て行き、苦しみの意味を見つけ出すことが大切です。正義を行われる主が、罪に罪を重ねたイスラエルと主の命令に逆らった者をさばかれるのをエレミヤは発見しました。苦しみがすべて罪のせいだとは言えませんが、主の御前で打ち明ければ、私たちの悲しみを担ってくださる主が、悲しみも苦しみも慰めてくださいます。

適用:こらえることのできない悲しみがあったとき、どうしますか

一言:主よ、ご覧になってください


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