聖書別日ごとの糧   >>   ダニエル書[2019]

2019年 04月 26日 (金)

ダニエル書9:1-27(18)
あなたの大いなるあわれみによる

 メディヤ族のダリヨスが王となった元年のことです。大臣となったダニエル(6:2)は、国事で多忙の中にあっても聖書を黙想していました(2)。預言者エレミヤにあった主のことばによって、イスラエルの民への主の御心を悟りました。それはイスラエルが70年のバビロンの捕虜生活ののちに、帰らせる神様の計画です(エレ25:11-12, 29:10)。時を数えると、イスラエルの回復の時が近づいていました。ダニエルは約束とおりになることを見とり、断食して祈りました。自分や民たちが神様をさげすみ、みことばを聞き、守らなかったかたくなな罪を告白しました。また、神様から懲らしめを受けても、依然として罪を犯したことを悔い改めました。ですから義なる神様から呪いを受けて当然でありました。主の前にダニエルは自分の正しさを立たせることはできませんでした。だからダニエルはひたすら主の大いなるあわれみによる赦しを求めました(9,18,19)。砕かれたものをあわれまれ、救われる神様にすがりました(詩34:18)。
 ダニエルが祈って語っているとき、天使ガブリエルが現れ、七十週の間に神様がなされることを教えました。この七十週とは、イスラエルが捕虜から解放された後、神様が救いの御業を完成なさる時までの象徴的な期間のことです。そむきと罪が終われば、赦されます。また、主が永遠の義をもたらします。幻と預言とを確証し、至聖所に油が注がれます。神の御子であられるイエス様が世に来られ、治めたとき、すべてのことが成し遂げられます。ダニエルはイスラエルの捕虜生活からの解放を望んでいましたが、神様はキリストによる広大で永遠なる救いの御業を見せてくださいました。わたしたちクリスチャンはみなこの究極のビジョンを見上げているべきなのです。


適用:裁きを受けて当然の罪びとは何を祈るべきでしょうか

一言:主の大いなるあわれみにたよること


<<(1)    前のページ(8)    9    次のページ(10)    (12)>>

聖書別日ごとの糧