聖書別日ごとの糧   >>   ダニエル書[2020]

2020年 01月 04日 (土)

ダニエル書 3:1-18(17,18)
 もしそうでなくても

 「誰がいのちの主権者なのか」について、二つの価値観がぶつかります。一つ目は、王の手にかかっているという考えです。「どの神が、私の手からあなたがたを救い出せよう。(15)」。周囲のすべての国を征服したネブカデネザル王は、ダニエルの友人たちに、自分が造った金の像を拝まないなら、ただちに火の燃える炉の中に投げ込むと脅かしました。王の手にその三人の友人たちのいのちがかかっているように見えます。ドラの平野に召集されたすべての高官たちはそう思っていたので、その金の像を拝みました。このように王がいのちの主権者であると思うなら、主である神様を信じる信仰を保つことが難しくなります。一生人を恐れ、人の目を気にしながら生きるしかありません。二つ目の考えは、主の手にかかっているという考えです。ドラの平野に召集された人々の中で、三人の友人たちだけはそのように考えました。「私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。(17)」三人の友人たちは神様を信じ、最後まで金の像を拝みませんでした。彼らは主である神様を信じる信仰を選び、守りました。彼らは「しかし、もしそうでなくても、私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。(18)」彼らが金の像を拝まなかったのは、神様が救ってくださると信じたからですが、もしそうでなくても、偶像の神々を拝まないことが主の御前で正しいことだと考えたからでした。彼らは結果に拘らず、自分の信仰に基づいた考えに従って、義と真理に従って生きました。
 神様は、私たちの期待や願う通りになさらないこともあります。自分が良いと思うことが、主がご覧になるとき、そうではないこともあります。三人の友人たちは火の燃える炉の中に投げ込まれ死んでしまうこともありうると考えました。しかし、死んでも信仰を守ることを選びました。なぜなら、主こそ、まことの神であると信じたからです。その神様の御旨とご計画を信じる、と考えました。状況によって揺らぐのではなく、もしそうでなくても、信じる人こそ、まことの信仰の人です。


適用:自分が願うとおりになる時だけ、神に仕えますか

一言:もしそうでなくても



2020年 01月 05日 (日)

ダニエル書3:19-30(29)
 このように救い出すことのできる神は、ほかにいない

 楽器の音に合わせて一斉にバビロンの高官たちは金の像を拝みました。しかし、ダニエルの三人の友人たちだけは、主である神様への信仰を守るために、金の像を拝みませんでした。これは、当時の神の民たちが置かれた状況の縮小図でした。巨大かつ強力な不信の世界が弱小の神の民を囲い込んでいます。信仰が不信に飲み込まれそうな状況です。果たして、この世の主権は誰の手にあるのでしょうか。王の手にあるように見えます。
 怒りに満ちたネブカデネザル王は炉を普段より七倍熱くするように命じ、三人の友人たちを縛って、火の燃える炉に投げ込みました。彼はこう思っていたでしょう。「人のいのちはこの自分の手が握っていることを見せつけよう。」しかし、火に燃えたのは縄だけでした。ダニエルの友人たちは、何の害も受けることなく、火の中を歩いていました。火は彼らのからだにはききめがなく、その頭の毛も焦げず、上着も以前と変わらず、火のにおいもしませんでした。ネブカデネザル王は炉を普通より七倍熱くしましたが、神様が御使いを送り出し、彼らを守って下さいました。ネブカデネザル王はバビロンの王であり、神のような存在でした。彼の言うとおりにならないことは一つもないほど、絶対的な権力を持っていました。しかし、主である神様は、バビロンのすべての高官たちの前で、主こそ、まことの神であることを明らかにされました。巨大な不信の世界で、信仰が勝利し、神様がほめたたえられました。神様こそ、世のまことの主権者であり、いのちの主です。この神様はご自分を信頼し、他の神々を拝まない信仰の人々を救ってくださいます。だから、今は巨大な不信の世界に、神の民たちが飲み込まれそうであっても、主は必ず彼らを救い出し、勝利を与えてくださいます。これは苦難の中にいる神の民たちに大きな慰めとなり、望みとなります。どんなに弱くても、大胆に不信の世界に挑む力と勇気を与えます。これを信じて、私たちも主だけに仕えると信仰の宣言をすべきです。神様だけにひれ伏し、神さまだけを拝むと信仰の宣布をすべきです。


適用:だれが、人を救い出せますか

一言:ただ主である神様だけが


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