聖書別日ごとの糧   >>   アモス書[2006]

2006年 04月 26日 (水)

アモス書8:1-14
主のことばを聞くことのききんである


Ⅰ.一かごの夏のくだもの(1-10)

 神様はアモスに一かごの夏のくだものを見せてくださいました。「夏のくだもの」とは完全に熟したくだものであり、イスラエルの民の罪が熟したことを指します。神様はこの幻を通して、イスラエルに終わりが来たと宣告されます。その日には歌が消え去り、泣きわめきで満ち、多くのしかばねが至る所に投げ捨てられます。このような悲惨な日が来ることは、決して偶然なことではありません。盗みと偽りと傲慢を悔い改めなければ、必ずさばきを受けるようになります。

Ⅱ.渇きのために衰え果てる(11-14)

 私たち人間にとって最も大きな恵みは神様の御言葉を聞けることです。私たちは神様の御言葉を聞くたびに、神様が共におられることと、その愛を悟ることができます。人生の方向をつかみ、生きる力を得ます。ところがその日が来ると、主の御言葉を聞くことができない霊的なききんが臨むようになります。人が海から海へとさまよい歩き、北から東へと、主のことばを捜し求めて、行き巡りますが、結局は得ることができません。その日には、美しい若い女も、若い男も、渇きのために衰え果てるのです。最も美しさが映え、生命力に満ち溢れる時期にも関わらず、神様の御言葉を聞くことができなければ、人生の方向を見失い、行き巡るしかありません。私たちはたましいを持った存在なので、パンだけでは生きることができません。私たちは豊かさよりも、主の御言葉をもっと慕い求めなければなりません。


祈り:主よ!御言葉を聞けずに行き巡る若者たちを憐れんでくださり、私を聖書の先生として用いてください。

一言:パンよりも、水よりも、神様の御言葉を


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