聖書別日ごとの糧   >>   ハバクク書[2019]

2019年 10月 24日 (木)

ハバクク書2:1-8(8)
正しい人はその信仰によって生きる

 ハバククは、「悪者(バビロン)が自分より正しい者(ユダ)を飲み込む時、なぜ、黙っておられるのですか。」と質問しました(1:13)。ハバククは、神様がこれに対して何を語り、訴えに何と答えて下さるのか、とりでにしかと立って、待って見張ります。その時、答えがありました。ユダを滅亡させたバビロンの終末は、神様が定めた時は遅れることはないと言われました。私たちから見ると遅くても、神様のご計画は正確であり、真実にバビロンを審判するとの御言葉です。
 バビロンはユダを懲らしめる道具に過ぎません。バビロンは高慢で、まっすぐではありませんでした。高慢とは、膨らませる、誇張する、身の程知らずという意味です。バビロンは諸国を侵略したことで自分に大きな能力があるのだと思い込みました。高慢になり、酒を楽しみ、欺きを行い、よみのようにのどを広げました。足ることを知らず、全ての国々と民を自分のもとに集めました。多くの国々を略奪しました。人の血を流し、国や町や、その全ての住民に暴行をふるいました。身の程知らずで、度を越えることをしました。このような罪悪を、神様は必ず裁かれます。
 それでは、神様の御旨を知っている義人はどのように生きるべきでしょうか。神様の真実さと公正さを信じることによって生きるのです。義人は神様の真実さと公正さを信じ、謙遜にならなければなりません。義人は、神様の前で自分が弱い人間であることを認め、どんな状況においても、神様に対して変わらぬ者であり続け、自分を誇張せず、状況に揺れ動かされないで身分相応に生きる者なのです。いつも神様の側で考え、神様の働きに感謝する者です。


適用:義人ですか

一言:真実な神様、公正の神様を信じて生きよう



2019年 10月 25日 (金)

ハバクク書2:9-20(14)
主の栄光を認めよう

 神様は高慢になり、身の程知らずのバビロンを裁かれます。バビロンは自分の欲望を満たそうと不正な利得をむさぼりました。そうしながらも、滅ぼされないと自信満々でした。しかし、神様のわざわいの手から逃れるために、自分の巣を高い所に据え、恥ずべきことを計りました。彼らは多くの国々の民を滅ぼしました。それが、災いのもとになり、かえって呪われました。彼らは血と不正で都を築き上げ、労動力を搾取したので、わざわいを受けるようになります。この世の民族たちは、ただ火で焼かれる為に労し、諸国の民はむなしく疲れ果てます。なぜそのようになりますか。歴史の主観者、全てを統治されている万軍の主を知らないからです。バビロンが強盛になり、ユダと諸国の民を侵略したのは、彼らが優れた者だからではなく、主が与えてくださっただけです。これを知るべきです。水が海をおおうように、地は主の栄光を知ることで満たされるべきです。しかし、彼らは自分の栄光を表そうと不義と悪を行いました。この罪の故にわざわいが降りかかります。
 主の栄光を認めないバビロンはわざわいです。神様の正義を知ろうとせず、自分の友に酒を飲ませ、酔わせて、あやまちを犯す者はわざわいです。神様は彼らが高慢で、獣と人の血を流すことを知って、その血を彼らにかえすと言われました。彼らが頼った偶像は木でしかなく、その中には息もありません。これに頼る者もわざわいです。主が聖なる宮におられ、全てこの世を治められているからです。バビロンが治めているように見えますが、実際は、聖なる都におられる主が治められます。これを知っているならば、混乱した政局であっても神様に祈って沈黙します。神様の働きを静かにみます。そうでなければ、自分がうぬぼれて、不正を行って、その審判を受けます。主の栄光を知ることで満たされ、その御前に静まれば、神様の祝福を受けます。


適用:神様の祝福を受けたいですか

一言:主の栄光を認め、その御前に静まりなさい


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