聖書別日ごとの糧   >>   マラキ書[2007]

2007年 02月 27日 (火)

マラキ3:1-5
契約の使者が来ている

Ⅰ.自分の民をきよめる(1-3)
 神様はユダの民にメシヤをお遣わしになると約束されました。彼らはその約束の通りメシヤを求め、望んでいました。メシヤは預言者が道を備えれば、ある日突然現われます。「契約の使者」はメシヤを指しています。メシヤは金を精錬する者の火、布をさらす者の灰汁のようです。このようにキリストはご自分の民をきよめ、純粋にします。キリストは神様の御言葉と霊的な訓練でご自分の民の罪を取り除いてしまいます。そしてその心から全ての不純物と汚れたものと悪い物を取り除いてしまいます。どんなに汚れてみにくい人でも、契約の使者キリストの御言葉と訓練を受ければ、たましいと内面がきよくなり、美しい人に変えられます。キリストの訓練を受けることは大きな祝福です。
Ⅱ.悪をさばかれる(4,5)
 キリストは、呪術者、姦淫を行なう者、偽って誓う者をさばかれます。不正な賃金で雇い人をしいたげ、やもめやみなしごを苦しめる者、在留異国人を押しのけて神様を恐れない者たちをさばかれます。世の中には不義が多いです。不義によって弱い人々が苦しめられています。神様はその全ての悪に報いてくださいます。キリストは弱い者たちを保護され、苦しむ者たちの苦しみを取り除いてくださいます。

祈り:主よ!主が私を訓練され、内の人をきよめてくださることを感謝します。私が主の訓練をよく担うように助けてください。

一言:契約の使者が来れば



2007年 02月 28日 (水)

マラキ3:6-4:6
主を恐れる者

Ⅰ.完全な十分の一(3:16-12)
 私たちが神様に帰るためには、まず神様から盗んだ物を返さなければなりません。それは完全な十分の一をささげることです。私たちが完全な十分の一をささげる時、神様は天の窓を開き、あふれるばかりの祝福を注いでくださいます。しかし十分の一は本来神様のものです。十分の一をささげないことは祝福の窓を閉ざすことであり、ささげることは窓を開けることです。十分の一をささげれば、何も私たちを害することができません。私たちの地が美しくなることで、全ての民が「私たちをしあわせ者」と言うようになります。
Ⅱ.記憶の書がしるされる(3:13-4:6)
 ユダの民は、神様に仕えることがむなしい、と思いました。彼らの目には、高ぶる者がしあわせになり、悪を行なっても栄えているように、見えました。しかし、神様はご自分を恐れ、主の御名を尊ぶ者たちのために、主の前で、記憶の書がしるされた。そして特別な所有とされ、人が自分に仕える子をあわれむように、あわれまれます。何よりさばきの時が来れば、高ぶる者、悪を行なう者はみな火で燃やされます。神様を恐れる者には、義の太陽が上り、その翼には癒しがあることで、牛舎の子牛のようにはね回るようになります(4:2)。

祈り:主よ!私が神様を恐れることで、完全な十分の一をささげますので、天の窓を開けて、あふれるばかりの祝福を注いでください。

一言:主を恐れる者


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