聖書別日ごとの糧   >>   マルコ[2006]

2006年 05月 04日 (木)

マルコの福音書1:1-8
主の道を用意するバプテスマのヨハネ


Ⅰ.悔い改めのバプテスマを説いたバプテスマのヨハネ(1-5)

 1節でマルコは神様の御子イエス・キリストの福音が始まったことを宣布しながら、バプテスマのヨハネの活動について預言した預言者イザヤの書を引用しました。「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。』」(3)。この預言どおりにバプテスマのヨハネが荒野に現われて、罪が赦されるための悔い改めのバプテスマを説きました。

 これは、イエス・キリストの福音が預言者たちの預言の通りに始まったことを意味します。このような歴史的な背景がある福音は真実なものであり、本物です。この福音が私たちの心に働くためには、まず悔い改めなければなりません。悔い改めとは御言葉の前で自分の罪を認め、心を痛めて告白し、その罪から立ち帰って神様に進み出ることです。このような悔い改めがなければ、福音を受け入れて罪の赦しを受けることができません。またこのような悔い改めの福音が説かれる所に罪人が悔い改める神様の御業があるのです(5)。

Ⅱ.いなごと野蜜を食べたヨハネ(6-8)

 ヨハネの着物はラクダの毛織であり、食物はいなごと野蜜、住まいは天を屋根とする荒野でした。彼は使命を中心にして、質素で清貧な生活をしていました。このような彼は自分に集まって来る人々の関心をイエス様に向かせ、イエス様が聖霊のバプテスマをお授けになることを証ししました(7,8)。


祈り:主よ!金銭中心のこの時代にヨハネの生活に見習って、大胆に悔い改めのメッセージを説く使命人になるように助けてください。

一言:私は荒野で叫ぶ者の声



2006年 05月 05日 (金)

マルコの福音書1:9-13
サタンの誘惑に打ち勝たれたイエス様


Ⅰ.バプテスマをお受けになったイエス様(9-11)

 イエス様はガリラヤのナザレから来られ、ヨハネからバプテスマをお受けになりました。罪のない神様の御子がヨハネからバプテスマを受けることは、メシヤとして神様の御旨に聞き従って、苦難と十字架の道を行こうとする決断のしるしです。神様はこのようなイエス様を喜ばれました。それで水の中から上がられると、天が裂けて御霊が鳩のようにイエス様の上に下って、言われました。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」(11)。イエス様は使命を担う前に、御霊の力をお受けになりました。

Ⅱ.サタンの誘惑に打ち勝たれたイエス様(11,12)

 その後、御霊はイエス様を荒野に追いやられました。これはサタンの誘惑を受けるためでした。最初の人アダムはエデンの園でサタンの誘惑を受けて罪を犯しました。そのため罪が世に入り込み、死が支配するようになりました。またアダムの子孫である私たちは生涯サタンに苦しめられるようになりました。

 しかしイエス様は御霊の導きを受け、荒野で四十日間いて、サタンの誘惑を受けました。サタンはこのようなイエス様を多くの面で誘惑しましたが、イエス様は全てのサタンの誘惑に打ち勝たれました。これを通して、最初の人アダムの失敗を挽回しました。このイエス様の中にいる時、アダムの子孫である私たちも、サタンの誘惑に打ち勝つことができます。サタンの誘惑に打ち勝ち、福音の御業に仕えることができるのです。


祈り:主よ!サタンの誘惑に打ち勝たれたイエス様を賛美します。私がこのイエス様をつかんで、サタンの誘惑に打ち勝つことができるように助けてください。

一言:誘惑に勝てば、福音の御業に仕えることができる



2006年 05月 06日 (土)

マルコの福音書1:14-20
福音の御業を始めたイエス様


Ⅰ.神の福音を宣べて言われたイエス様(14,15)

 ヨハネが、弟の妻ヘルデヤを娶った王ヘロデの罪をとがめると、彼はヨハネを牢獄に入れてしまいました。その時代はこのように淫乱で罪深いものでした。このような時代にイエス様はガリラヤに行かれ、神様の福音を宣べて言われました。15節をご覧ください。「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」

 神様は、時になると約束されたメシヤ、イエス様を遣わしてくださいました。このイエス様によって、この地に神の御国が臨むようになりました。この神の御国を得るためには、悔い改めて福音を信じなければなりません。私たちが御言葉を通して内面の罪を悟り、悔い改めてイエス様を受け入れる時、私たちの内面に神の御国が臨むようになります。神の御国の恵みと喜びを受けるようになります。私たちは内面の金銭主義、快楽主義、利己心などを悔い改めて、福音を受け入れなければなりません。

Ⅱ.最初の弟子を召されたイエス様(16-20)

 イエス様は福音を宣べ伝えながら、シモン、アンデレ、ヤコブ、ヨハネの四人の漁師を弟子として召されました。彼らは自分のことに忠実な者であり、また謙遜で学ぶ心がある者たちでした。イエス様は彼らに言われました。わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」(17)。イエス様は、無意味なことを繰り返す生活人を、人を救う牧者として召されました。


祈り:主よ!私が罪深い時代に陥らずに、神様の福音を伝え、イエス様の弟子を養成するように助けてください。

一言:福音伝道、弟子養成



2006年 05月 07日 (日)

マルコの福音書1:21-28
御言葉の権威者イエス様


Ⅰ.権威ある御言葉を教えられたイエス様(21,22)

 イエス様が弟子たちと共に安息日にカペナウムの会堂に入って行き、御言葉を教えられると、その教えに多くの人々が驚きました。これはその教えが権威あるもののようであり、律法学者たちのようでなかったからです。当時律法学者たちは民たちの内面の苦しみや問題に、あまり関心がなく、律法の条文や伝統を教えました。

 しかしイエス様の教えは違っていました。イエス様は人々の内面の問題を深く理解され、彼らの内面にいのちをもたらすいのちの御言葉を教えてくださいました。また御霊が満たされる中で、羊たちの内面の問題に実際に助けを与える真理の御言葉を教えてくださいました。御言葉のしもべたちは人々を縛る律法の代わりに、人のいのちを生かす福音を証ししなければなりません。そのために御言葉の泉を掘るための祈りと御言葉の研究に力を入れなければなりません。

Ⅱ.汚れた霊を追い出されたイエス様(23-28)

 神様の御言葉が広まると、汚れた霊につかれた人が叫びました。悪霊はイエス様が神様の御子であることを知っていましたが、イエス様を嫌い、恐れました。イエス様は汚れた霊に「黙れ。この人から出て行け。」と命じられました。すると悪霊は最後のあがきをして、その人をひきつけさせ、ついにはイエス様に屈服して出て行きました。イエス様の御言葉は悪霊につかれた人々を救う権威があります。


祈り:主よ!主の御言葉の権威を賛美します。私にも多くの人を感動させる力ある能力の御言葉をください。

一言:権威ある御言葉のしもべになろう



2006年 05月 08日 (月)

マルコの福音書1:29-39
福音を知らせるために来られたイエス様


Ⅰ.ペテロの家を訪問されたイエス様(29-31)

 イエス様が会堂で御言葉を教えられた後、弟子たちを連れてシモンの家に訪ねて行かれました。それはシモンのしゅうとめが熱病で床に着いていたためでした。イエス様が力ある御手で彼女の手を取って起こされると、熱がひき、彼女はイエス様の一行をもてなしました。イエス様は忙しい仕事の中でも、一人の羊の問題を助ける良い牧者です。

Ⅱ.わたしはそのために出て来たのだから(32-39)

 夕方になり、安息日が終わる時間になると、イエス様は集まって来たさまざまの病気にかかっている人を直し、悪霊を追い出されました。その次の日、イエス様は朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられました。ところがペテロと他の弟子たちは病を直してくださることを願って捜しに来た群衆を見て、イエス様を見つけて言いました。「みんながあなたを捜しております。」(37)。

 その時、イエス様は言われました。「さあ、近くの別の村里へ行こう。そこにも福音を知らせよう。わたしは、そのために出て来たのだから。」(38)。イエス様は人々の人気に便乗せず、神様から任された使命、すなわち福音を知らせることに専念しようとされました。イエス様がこのように使命人としての中心を守ることができた秘訣は、まさに夜明けの祈りにありました。イエス様は多くの仕事をしながらも、中心を固く守りました。忙しい時ほど、祈りのうちに使命人としての中心を守ることは大切なことです。


祈り:主よ!私が体と心が忙しく、中心をよく失ってしまう罪を悔い改めて、伝道者の使命に専念できるように助けてください。

一言:夜明けの祈りと伝道者の使命



2006年 05月 09日 (火)

マルコの福音書1:40-45
らい病人をきよめられたイエス様


 ひとりのらい病人がイエス様のみもとに来て、ひざまずいて、きよくしてくださるように、お願いしました。らい病は全身が腐って崩れ落ちる恐ろしい病気です。当時らい病人は村から追い出され、人が住まない谷や山間で生活しなければなりませんでした。そのため、彼らは骨の髄まで深くしみいる孤独と絶望、羞恥心と罪悪感に陥らなければなりませんでした。ところが本文のらい病人はイエス様の力と愛を信じる信仰で、自分の醜い姿をさらけ出してイエス様に出て行きました。彼は自分の醜い姿をさらけ出してイエス様に出て行く勇気ある人でした。

 イエス様は彼をご覧になって、「なぜそんなに醜くなったのか。」と尋ねませんでした。彼を深く憐れまれました。イエス様は彼の傷と苦痛とさびしさと悲しみをみな知っておられました。それで骨と皮だけになった彼のからだにさわって、彼に対するこの上ない大きな愛を現されました。そして言われました。「わたしの心だ。きよくなれ。」イエス様は彼がきよくなることを切に願っておられました。醜い彼の体が完全なものになることを願われました。するとライ病が消えて、きよくなりました。

 罪はライ病のように私たちを醜くします。願わずに罪によって醜くなった私たちは孤独と絶望の中で生きて行くしかありません。しかしイエス様はこのような私たちがきよくなることを願われます。罪で醜くなった私たちが、聖なるきよい者になることを願われます。私たちが信仰によって罪で醜くなった自分をさらけ出してイエス様に出て行けば、イエス様は私たちをきよめてくださいます。聖なる生活をするように助けてくださいます。


祈り:主よ!らい病のように醜い罪で病んだ私をきよめてくださり感謝します。私がこの恵みに基づいて、羊たちに仕えます。

一言:お心一つで、・・・


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