聖書別日ごとの糧   >>   マルコ[2006]

2006年 05月 10日 (水)

マルコの福音書2:1-12
罪を赦す権威を持っておられるイエス様


Ⅰ.あなたの罪は赦されました(1-5)

 イエス様が御言葉を教えておられた時、人々が一人の中風の人をかついで来ましたが、人があまりにも多く、イエス様に連れて行くことができませんでした。すると彼らは信仰によって屋根をはがし、中風の人を寝かせたままでイエス様のところに降ろしました。彼らの信仰は障害物と難関を乗り越えました。

 イエス様は中風の人を子どもとして受け入れ、彼に罪の赦しを宣布されました。イエス様は彼を苦しめている根本問題が罪であることをご覧になりました。人が疾病や人間条件によって不幸なのではありません。罪のために不幸なのです。罪の報酬は死であり、その後にはさばきがあります。誰も自分の力では罪から解放されることはできません。しかし罪を赦す権威を持っておられるイエス様は信仰によって出て来る者の罪を赦してくださり、罪から解放させます。このような罪の問題が解決される時、逆境の中でも幸福であり、価値ある人生を生きることができます。

Ⅱ.起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい(6-12)

 ある律法学者たちがイエス様を信じずに心の中で理屈を言いました。イエス様は彼らにご自分が罪を赦す権威を持っていることを知らせようと、中風の人に向かってお命じになりました。「起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。」。すると彼は起き上がって、すぐに床を取り上げて、みなの見ている前を出て行く奇跡が起こりました。それでイエス様が罪を赦す権威を持っておられることが証明されました。人が罪の赦しを受ける時、起きて歩く力ある人生を生きることができるのです。


祈り:主よ!主が私の醜いすべての罪を、ただ恵みによって赦してくださり感謝します。私が主のために力みなぎる人生を生きます。

一言:罪の赦しを受ければ、起き上がるようになる



2006年 05月 11日 (木)

マルコの福音書2:13-17
罪人を招くために来られたイエス様


Ⅰ.わたしについて来なさい(13,14)

 イエス様は湖のほとりで群衆に御言葉を教えてから、道を通っておられると、収税所に座っているレビをご覧になりました。当時取税人たちはお金を儲けるために、同族を裏切ってローマの手下になった者たちでした。それで人々は彼らを売国奴であり、遊女と同じ罪人として扱いました。しかしイエス様はこのようなレビを心に抱かれました。彼の利己的な生活によって生じた内面の孤独と痛みを知っておられました。それでただ言われました。「わたしについて来なさい。」(14)。この召されの御声はレビを生かしました。取税人レビを聖マタイに変えました。

Ⅱ.罪人を招くために来たのです(15-17)

 レビはイエス様のために大きな宴会を催しました。その宴会には多くの取税人と罪人たちも一緒に参加しました。イエス様は当時の慣習をくつがえし、取税人と罪人たちの友となり、共に宴会を楽しみました。パリサイ人たちと律法学者たちはこれを非難しました。このような彼らにイエス様は言われました。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」(17)。

 イエス様は取税人と罪人たちを病んだ患者としてご覧になり、ご自分を医者にたとえました。イエス様は病んだたましいを治療し、罪人を救うために来られました。自分が罪人であることを認め、謙遜にイエス様に出て行く者はみな救いを受けます。病んだたましいが癒されます。


祈り:主よ!利己心と世の欲望で病んだ罪人を赦し、弟子として召してくださり感謝します。私が主を学ぶように助けてください。

一言:罪人の友であるイエス様



2006年 05月 12日 (金)

マルコの福音書2:18-28
花婿であるイエス様


Ⅰ.新しいぶどう酒は新しい皮袋に(18-22)

 ある人がイエス様のところに来て言いました。「あなたの弟子たちはなぜ断食しないのですか。」(19)。イエス様は私たちの花婿であり、私たちはその貞潔な新婦です。従って、信仰生活は花婿であるイエス様と一緒にいる結婚披露宴のようなものです。それで大切なことは断食の様なものではなく、心の中心にイエス様をお迎えしているかどうかです。

 彼らは古い皮袋のような律法的な視覚でイエス様を見ていました。このような彼らに、イエス様はご自身とご自分の教えを真新しい布切れと新しいぶどう酒にたとえました(22)。私たちが花婿であるイエス様をお迎えするためには、古い皮袋のような心を悔い改めて、新しい皮袋のようにいつも心を新たにしなければなりません。

Ⅱ.人の子は安息日にも主です(23-28)

 イエス様の弟子たちが安息日に麦畑の中を通って行き、穂を摘んで食べました。これを見たパリサイ人たちは、弟子たちが安息日にしてはならないことをしている、とイエス様を非難しました。イエス様はダビデのたとえを上げて、弟子たちを弁護されました。そしてご自分が安息日の主であることを宣布されました(28)。イエス様は安息日を制定された創造主であり、安息日に礼拝をお受けになる礼拝の対象です。従って、大切なことは律法を守ることではなく、イエス様を信じて従うことです。


祈り:主よ!私が律法と形式を打ち破り、日々新たに花婿であるイエス様を心の中心にお迎えするように助けてください。

一言:私の花婿イエス様


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