聖書別日ごとの糧   >>   マルコ[2006]

2006年 05月 26日 (金)

マルコの福音書8:1-26
盲人の目を開かれたイエス様


Ⅰ.群衆を憐れまれたイエス様(1-10)

 そのころ、また大ぜいの人の群がイエス様のところに集まって来ました。彼らは三日間もイエス様と一緒にいましたが、離れて行こうとはしませんでした。彼らには食べる物がありませんでした。

 イエス様は弟子たちを呼んで言われました。「かわいそうに、この群衆はもう三日間もわたしといっしょにいて、食べる物を持っていないのです。」(2)。イエス様は羊たちの現状をよく知っておられました。2,3節をご覧ください。イエス様は私たちに必要なものが何であるのかをすべて知っておられ、憐れんでくださる良い牧者です(ヨハ10:14,15)。

Ⅱ.盲人の目を開かれたイエス様(11-26)

 イエス様は信仰がなくしるしを求めてためそうとするパリサイ人たちをご覧になり、心の中で深く嘆息されました(11-13)。イエス様は弟子たちに「パリサイ人たちのパン種とヘロデのパン種に気をつける」ように警告されました(15)。しかし弟子たちはパンの心配ばかりしていました。彼らは目がありながら見えない霊的な盲人でした(17,18)。

 反面、ベツサイダの盲人はどうだったのでしょうか(24,25)。イエス様は盲人の手をつかみ、個別的に手を置いて直してくださいました。彼はイエス様を通して次第に目が開き始め、はっきりと見えるようになりました。ベツサイダの盲人の目を治してくださったイエス様は目の開いた盲人のような弟子たちの霊的な目が見えるようになるまで直してくださる方です。


祈り:私の全ての現状を知っておられる主よ!目の遠い小犬のような私を最後まで耐え忍ばれ助けてくださることを心から感謝します。私のたましいの目を開いてくださり、霊的な世界が見えるようにしてください。

一言:霊的な世界がはっきりと見えるまで



2006年 05月 27日 (土)

マルコの福音書8:27-38
あなたはキリストです


Ⅰ.あなたがたは、わたしをだれだと言いますか(27-29)

 ピリポ・カイザリヤの村々へ出かけられた時、イエス様は弟子たちに尋ねて言われました。「人々はわたしをだれだと言っていますか。」今イエス様は弟子たちに二つ目の質問をされました。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」(29)。これは主観的な質問なので、誰もが答えられるものではありません。イエス様との関係性の中でのみ、体験を通してのみ、答えることができるのです。

 その時、イエス様の首弟子ペテロが答えました。「あなたは、キリストです。」

(29)。ペテロは、イエス様こそ神様が約束されたメシヤであること、を信じていました。私たちを罪とサタンの勢力から救ってくださる救い主であり、とこしえの万軍の王、キリストであることを告白したのです。私たちが、イエス様をどんな方として見るのかによって、永遠のいのちか、さばきかの分かれ目なのです。

Ⅱ.だれでもわたしについて来たいと思うなら(30-38)

 今、イエス様はご自分がキリストとして受ける苦難と死とよみがえりについて、初めて教えられました。この御言葉を聞いたペテロは大きく反発しました。イエス様は人間的な考えにとらわれたペテロをお叱りになり、弟子の道を教えられました(34)。

 第一に、自分を捨てなければなりません。「自分を捨てる」とは自分の夢と理想を捨てて、イエス様中心の生活をすることを意味します。

 第二に、自分の十字架を負わなければなりません。自分の十字架とは使命の十字架を意味します。


祈り:主よ!私のために死なれよみがえられた主だけが私のキリストです。今からキリストの道について行きます。

一言:自分の十字架を負って


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