聖書別日ごとの糧   >>   マルコ[2006]

2006年 06月 21日 (水)

マルコ11:1-11
ろばに乗って入城されるイエス様


Ⅰ.万物の主イエス様(1-6)

 イエス様はエルサレムの近くに来られると、二人の弟子を使いに出して、向こうの村に行ってろばの子を引いて来るように命じられました。主人が「なぜそんなことをするのか。」と言えば、「主がお入用なのです。」と答えるように、言われました。弟子たちはイエス様の御言葉に聞き従って、ろばの子を引いて来ました。これを通して、弟子たちはイエス様がろばの本当の主人であり、万物の主であることを悟るようになりました。イエス様の御言葉に絶対的な姿勢で聞き従う者はイエス様が万物の主であることを悟るようになります。

Ⅱ.平和の王イエス様(7-11)

 弟子たちがろばの子を引いて来て、自分たちの上着をその上に掛けました。イエス様はろばの子に乗って、エルサレムの町を入城されました。数多くの人々が上着を道に敷き、木の葉を枝ごと切って道に敷いて叫びました。「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。祝福あれ。いま来た、われらの父ダビデの国に。ホサナ。いと高き所に。」群衆はイエス様を約束されたメシヤとして受け入れました。

 イエス様がろばの子に乗って入城し、民たちの賛美を受けられた意味は何でしょうか。これはイエス様が謙遜と愛で罪人たちに仕える平和の王であり、万民の賛美と礼拝を受けるのにふさわしい王であることを、知らせてくれます。イエス様は私たちのいのちの主であり、賛美と礼拝を受けるのにふさわしい平和の王です。


祈り:主よ!私が傲慢を悔い改め、謙遜にろばの子に乗って来られた主を受け入れます。私を愛と平和で治めてください。

一言:愛と平和の王イエス様



2006年 06月 22日 (木)

マルコ11:12-19
宮をきよめられたイエス様


Ⅰ.いちじくの木を呪われたイエス様(12-14)

 翌日、イエス様がベタニヤから出られた時、空腹を覚えられました。ところが遠くで葉の茂った一本のいちじくの木を発見しました。イエス様は何かありはしないかと近づいて行かれましたが、葉のほかには何もありませんでした。それでこの木を呪いました(14)。これは、イエス様が、当時外側は華麗であっても、内側は強盗の巣のように腐敗した宮に臨む神様のさばきを見せてくださったものです(17)。内側は腐っていても、外側はそれらしく見える信仰生活をする人々はイエス様の呪いを避けることはできません。

Ⅱ.宮をきよめられたイエス様(15-19)

 イエス様は宮に入って行かれ、その中で売買する人々を追い出しました。両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛を倒しました。「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。」と教えられました(7a)。宮は罪人たちが神様に会う聖所と至聖所がある神様の家です。ここは民たちの祈りと罪の赦しの恵みを受けた者たちの賛美が満ちていなければなりません。しかし家畜の鳴き声や汚物の臭いだけが満ちた醜く、汚れた所になってしまいました。イエス様はこのような宮をきよめられました。

 私たちの体は神様の霊が宿る聖なる宮です(Ⅰコリ3:16,17)。それで私たちは自分たちの心の中にある全ての貪欲と世の罪を追い出し、絶えず清潔を保っていなければなりません。


祈り:主よ!実のない形式的な信仰と不順な世俗的な信仰を悔い改めます。私が実を結ぶ弟子になるように助けてください。

一言:神様だけを愛する純粋な信仰



2006年 06月 23日 (金)

マルコ11:20-25
神を信じなさい


Ⅰ.神を信じなさい(20-23a)

 翌朝早く、ペテロはイエス様が呪われたいちじくの木が根まで枯れていたのを見て、大きな衝撃を受けました。「先生。ご覧なさい。あなたののろわれたいちじくの木が枯れました。」彼はいちじくの木が根まで枯らしたイエス様の権威に驚きました。自分もこのような権威を持つことを願いました。

 イエス様は彼に「神を信じなさい。」と言われました。この御言葉はペテロが人やほかのものに頼らず、神様にだけ頼りなさいという意味です。誰でも神様を信じるなら、大きな山に向かって海にはいれと命じる力を行なうことができます(23)。力のみなもとは神様です。信仰はこのような神様の御力を受け入れられる唯一の通路です。イエス様は、ペテロが神様にだけ頼り、イエス様のような権威ある神様のしもべになることを願われました。誰でも神様だけを信じるなら、できないことはありません(ピリ4:13)。

Ⅱ.「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。」(23b-25)

 祈りの力を受け入れるためには、心に生じる疑いを退けなければなりません(23b)。疑う者は風にふかれて揺れ動く波のようであり、何も得ることができません(ヤコ1:6)。疑いを退け、祈り求めたものを、すでに受けたと信じた時、その信仰の通りになります(24)。また祈る時、兄弟に対して恨み事があるなら、赦さなければなりません。そうすれば、神様が罪を赦してくださり、信仰の疑いを退けることができます。


祈り:主よ!私がすべてのものから離れ、神様だけを信じ、疑わないように助けてください。その時、神様の御力を受けることを信じます。

一言:疑いを退ければ



2006年 06月 24日 (土)

マルコ11:27-33
天から来た権威


Ⅰ.何の権威によって(27,28)

 宮をきよめた翌日、イエス様が再び宮の中を歩いておられた時、祭司長、律法学者、長老たちがイエス様のところにやって来て聞きました。「何の権威によって、これらのことをしておられるのですか。」(29)。「これらのこと」とはイエス様が宮をきよめられ、宗教指導者たちの罪を咎められたことです。彼らはイエス様のお咎めに対して、悔い改めるべきでした。しかし彼らはむしろ宗教的な権威によって、イエス様を踏みにじろうとしました。

Ⅱ.ヨハネのバプテスマはどこから来たものなのか(29-33)

 イエス様は彼らの本心をよく知っておられ質問されました。「ヨハネのバプテスマは、天から来たのですか、人から出たのですか。」(30)。この質問は、イエス様の権威もバプテスマのヨハネのように天から来たことを明らかにするものです。彼らも心の中では、ヨハネのバプテスマが天から来たことを知っていました。しかしこれを公開して認めることができませんでした。なぜならこれを認めれば、イエス様の権威も認めなければならなかったからです。それで彼らは議論の末、「わかりません。」と答えました(33)。

 彼らこそ、天から来る権威を受けることができませんでした。彼らの権威は人間の制度や形式に基づいたものでした。このような彼らは真理に従って行なうことができず、人々の視線を気にしました(32)。反面、天から権威を受けたイエス様は宗教指導者たちの視線を気にせずに、真理に従って行なわれました。神様から来る権威を受けた者だけが、真理に基づいた人生を生きることができるのです。


祈り:主よ!私が神様から使命を受けた者であることを悟り、真理に基づいた人生を生きるように助けてください。

一言:天から来る権威を受けよう


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