聖書別日ごとの糧   >>   マルコ[2006]

2006年 07月 25日 (火)

マルコ14:1-9
イエス様に香油を注いだ女


Ⅰ.石膏のつぼを割った女(1-3)

 二日後には、イエス様が神様の子羊として殺されなければならない過越の祭でした。イエス様はベタニヤのシモンの家で食卓についておられました。その時、一人の女が非常に高価な香油の入った石膏のつぼを持って来て、割ってイエス様の頭に注ぎました。

 彼女にとってつぼは非常に価値のあるものでした。なぜなら、この香油は普段は決して使用することなく、嫁入り道具として大事にしまってあったものだからです。ここには女の結婚の夢と真心と涙と犠牲が込められています。女はイエス様の恵みに感謝して、自分が最も大切にしていたつぼを割って、主にささげました。この女の心には感謝と感激が満ちていました。

Ⅱ.女の真心を受け取られたイエス様(4-9)

 何人かの者が「香油をむだにした。」と憤慨していました。彼らは全てのものをお金で計算する物質主義者でした。しかしイエス様は女の犠牲と献身をりっぱなこととしてご覧になりました(6)。そしてこのことを、福音の御業に長く残る記念的な出来事としてご覧になり、福音が宣べ伝えられる所ならどこででも、この女のした事が語られて、この人の記念となると言われました(9)。イエス様は女の真心を受け取られ、尊く用いてくださいました。人が自分の全ての心をささげる所を見つける時ほど、感激することはありません。イエス様は私たちの真心を受け取られるのにふさわしい方です。


祈り:主よ!私のつぼを割って主にささげます。私の真心を受け取って、万民救いの御業に尊く用いてください。

一言:私の真心を主に



2006年 07月 26日 (水)

マルコ14:10-26
契約の血


Ⅰ.「わたしといっしょに食事をしている者が、わたしを裏切ります。」(10-21)

 イスカリオテ・ユダは大祭司とお金の約束をして、イエス様を引き渡す機会をうかがっていました。このような中でイエス様は弟子たちに過越の食事をするために準備をさせました。ユダの裏切りを知っておられたイエス様は、食事をする場所を秘密にされました。

 食事の途中で、イエス様は「あなたがたのうちのひとりで、わたしといっしょに食事をしている者が、わたしを裏切ります。」と言われました。イエス様は、この御言葉を聞いてユダが悔い改めることを願われました。弟子の裏切りに対してイエス様はどれだけ心が痛んだでしょうか。しかしイエス様は裏切りの態度に対して怒ることより、彼のたましいが破滅に至ることにもっと心を痛められました(21)。

Ⅱ.わたしの契約の血です(22-26)

 イエス様は過越の食事の最中、パンと杯を弟子たちに与え、これがわたしのからであり、わたしの血であると言われました。からだは私たちのためにむちで打たれ、ずたずたに引き裂かれたイエス様のからだであり、杯は多くの人のために流される血、すなわち契約の血を意味します。「契約の血」とは神様が預言され、約束された血であり、神様が真実な方であることを示してくれます。イエス様はこの私の罪を贖うために、死ぬまで神様に従順し、血を流されることで神様の約束を成就されました。過越の子羊になりました。聖餐式はイエス様の救いの恵みを記念するものであり、この最後の晩餐がその起源となります(Ⅰコリ11:23-26)。


祈り:尊い主よ!この私のために貴いからだが引き裂かれ、血を流してくださった、その恵みに涙を流します。

一言:契約の血



2006年 07月 27日 (木)

マルコ14:27-42
ゲツセマネの祈り


Ⅰ.「あなたがたはみな、つまずきます。」(27-31)

 イエス様は弟子たちの弱さを知っておられました。それで試練の日に、みなつまづくことを、前もって話されました。そして彼らが再び起き上がれるように、イエス様がよみがえられる望みと、その後の方向も出してくださいました(28)。しかしペテロは自分はそんなはずはないと言いました。イエス様は、彼がその日の晩に三度もイエス様を知らないと言う、と言われましたが、ペテロはかたくなにイエス様の御言葉を受け入れようとはしませんでした。彼は、人がどれだけ弱い存在であるのか、を知りませんでした。そのため彼は祈らず、試みに陥りました。

Ⅱ.あなたのみこころのままを、なさってください(32-42)

 十字架の死を目の前にしたイエス様はひどく恐れ、悲しまれました。イエス様は三人の弟子たちに祈りを頼み、ご自分は地面にひれ伏して切に祈られました。イエス様は、できることなら十字架の苦い杯を取り除いて欲しいと、願われました。しかし結局は「しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」と祈られました(36)。イエス様は三度も同じ祈りを繰り返されました。イエス様は血と汗を流して祈られました(ルカ22:44)。そうしてついにイエス様は全ての羞恥と苦難にも関わらず、神様の御旨に服従されました。

 祈りとは自分を捨て、神様の御旨に服従するための闘争です。


祈り:主よ!私も神様の御旨に服従するために毎日祈りの闘争を担うことができるように助けてください。

一言:あなたのみこころのままを



2006年 07月 28日 (金)

マルコ14:43-52
逮捕されたイエス様


Ⅰ.聖書の言葉を実現されたイエス様(43-49)

 イエス様が祈りを終えた時、裏切り者のユダが剣や棒を手にした群衆を連れてゲツセマネの園に来ました。彼はイエス様に出て行き、口づけしました。これは群衆にイエス様を知らせようとする合図でした。イエス様は愛していたユダの裏切りによって逮捕されました。本当に耐え難いことでした。

 しかしイエス様はご自分が逮捕されたことを人間的に考えませんでした。イエス様は弟子の裏切りによってどうすることもできずに逮捕されたのではありません。イエス様はいくらでも逮捕されずにいることもできました。イエス様は「こうなったのは聖書のことばが実現するためです。」と言われました(49)。イエス様はご自分の苦難や体面よりも神様の御旨を求められました。

Ⅱ.逃げた弟子たち(50-52)

 弟子たちは大口をたたきましたが、祈りませんでした。イエス様が祈られた間、眠っていました(37)。そのような彼らは試練にぶつかると、恐れにとらわれました。弟子のうちの一人はとっさに剣を抜いて、大祭司のしもべの耳を切ってしまいました(47)。そして結局はみなイエス様を捨てて逃げてしまいました。あるの弟子は亜麻布を脱ぎ捨てて、はだかで逃げました。

 祈らなければ、試練にあった時、感情と雰囲気にに流され、恐れにとらわれ、逃げるしかありません。


祈り:主よ!私が試練の日に逃げる卑怯者とならず、主の御旨を成し遂げる祈りの人となるように助けてください。

一言:自分の体面より神様の御旨を



2006年 07月 29日 (土)

マルコ14:53-72
わたしは、それです。


Ⅰ.「わたしは、それです。」と言われたイエス様(53-56)

 イエス様は祭司長たちの集まっているところに連れて行かれました。彼らは夜間に不法裁判を開いてイエス様を尋問しました。これは厳正な裁判ではなく、イエス様を殺すための証拠を見つけるためのものでしかありませんでした。

 このような雰囲気の中では萎縮せざるをえません。しかしイエス様は「あなたはキリストですか。」と尋ねられた時にも、少しもためらわずに「わたしは、それです。」とはっきりとお答えになりました。イエス様は、さらに進んで、復活して天に上げられ、神様の右の座に着き、将来さばき主として再臨されることを明かされました(62)。イエス様はこれによって死刑宣告を受けられました。私たちもどんな苦難があっても、自分がクリスチャンであることを明らかにすることができなければなりません。

Ⅱ.「知らない。」と言ったペテロ(66-72)

 ペテロはイエス様がどうなったのか知るために、大祭司の家の庭にいましたが、実はがたがた震えていました。そして女中の前で、三度も「その人を知りません。」と否定しました。のろいをかけて誓ってまでかたく否定しました(71)。こうして祈らなかったペテロは自分の願いに反し、主を否定してしまいました。そしてイエス様を否定して初めて、彼は自分の弱さを知り、イエス様を御言葉を思い出して、泣き出しました(72)。


祈り:主よ!私も主を見倣って、どんな状況でも主の子どもらしく潔くできるように助けてください。弱くてつまずく時、主の愛を思い出して立ち返るように助けてください。

一言:わたしは、それです。


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