聖書別日ごとの糧   >>   マルコ[2006]

2006年 07月 30日 (日)

マルコ15:1-15
ピラトに尋問されたイエス様


Ⅰ.そのとおりです(1-5)

 教権者たちはそろってイエス様を神聖冒涜罪に定めました。しかしピラトには、イエス様が自分を王だと言ってローマに逆らおうとしているという政治的な理由で訴えました。そこでピラトは「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」と尋問しました。この質問には政治的なわながありました。それでもイエス様は「そのとおりです。」と肯定されました(2)。イエス様は、霊的な意味で、ご自分をキリストとして、はっきりと王であることを、話されました。イエス様は裁判と関係なく、神様の御旨に従って十字架で死ななければならないことを知っておられたので、他の訴えには何もお答えになりませんでした(5)。イエス様はキリストとして裁判を受けられました。

Ⅱ.死刑判決を下したピラト(6-15)

 ピラトはイエス様には何の罪もなく、大祭司たちがねたみで訴えていることを知っていました(10)。そこで祭の日の特赦を用いてイエス様を釈放しようともしました。しかし彼は法と良心に従って裁判することができず、群衆と妥協しようとしました。結局、彼は大祭司に扇動された群衆の声に圧倒されて、イエス様に十字架刑を言い渡してしまいました(15)。彼は何が正しいことであるのかを知っていましたが、正しい行ないをすることができなかった卑怯者であり、弱い者でした。彼は結局メシヤを殺した張本人として歴史のさばきを受けるようになりました。


祈り:主よ!私が真理を知りながらも、真理の側に立つことができない卑怯者になってしまわないように、助けてください。

一言:指導者の責任



2006年 07月 31日 (月)

マルコ15:16-32
十字架につけられたイエス様


Ⅰ.嘲弄を耐えられたイエス様(16-20)

 兵士たちはイエス様を総督官邸の庭に連れて行きました。イエス様はピラトの指示でむち打たれていたので、すでに肉が引き裂かれ、体中が血だらけになっていました(15)。このような状態でイエス様は再び残忍なローマの兵士たちから嘲弄を受けられました。兵士たちはイエス様に紫の衣を着せて、頭にいばらの冠をかぶらせ、葦の棒で頭をたたき、つばきをかけました。イエス様はそのすべての嘲弄に耐えられました。

Ⅱ.十字架を耐え忍ばれたイエス様(21-32)

 イエス様は十字架を背負い、何度も倒れながらも、ゴルゴダの丘まで行かれました。そこでイエス様は二人の強盗と一緒に十字架につけられました(24-27)。時刻は午前九時でした。十字架の苦痛は死ぬまで千回も気絶すると言われる程むごいものです。十字架刑は人類が考案した死刑の中でも、最も残忍で苦痛が伴うものです。イエス様はその恐ろしい苦痛、嘲弄、批判のすべてに耐え忍ばれました(29-32)。

 イエス様がこのようにむちに打たれ、十字架につけられたのは、私たちのあやまちと罪のためです(イザ53:4,5)。イエス様がむちで打たれることで、私たちは癒され、イエス様が十字架で血を流されることで、私たちは罪の赦しを受けるようになりました。イエス様の十字架は、私たちをのろいとさばきから永遠のいのちへと移してくれます。イエス様の苦痛の十字架は罪責感で苦しむ私たちの内面を癒す治療の十字架です。


祈り:主よ!虫に等しいような罪人のために十字架の全ての苦しみを受けられたイエス様を考える時、感激の涙がこぼれます。

一言:「主はかくもむごき目に合いしか」(聖歌613番)



2006年 08月 01日 (火)

マルコ15:33-47
死んで葬られたイエス様


Ⅰ.十字架で息を引き取られたイエス様(33-41)

 イエス様は十字架の苦痛で大声を上げて息を引き取られました(34)。イエス様は私たちの代わりに神様に捨てられ、私たちが受ける呪いを代わりに受けられたのです(ガラ3:13)。

 このようにしてイエス様が十字架で息を引き取られると、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けました(38)。神殿には幕がありますが、祭司たちも幕の内側に入って行くことができませんでした。ただ大祭司だけが一年に一回、民を代表して贖罪の供え物をささげ、幕の内側に入り、罪の赦しを受けました。ところがこの幕がイエス様の死と同時に裂かれました。今は、誰でもイエス様を通して、神様に出て行くことができます。イエス様みずからが供え物になったことで、今は祭司制度も必要ありません。イエス様によって神様に出て行ける新しい生きた道が開かれるようになりました(ヘブ10:19,20)。このように息を引き取られるのを見た百人隊長は告白しました。「この方はまことに神の子であった。」(39)。

Ⅱ.墓に葬られたイエス様(42-47)

 イエス様の死を見たアリマタヤのヨセフはピラトにイエス様の死体の下げ渡しを願いました。そして自分のために、岩を掘って造った墓に納めました。その時、マグダラのマリヤとヨセフの母マリヤがイエス様の納められる所をよく見ていました。イエス様が墓に葬られた時、私たちの罪も一緒に墓に葬られたのです(ロマ6:4)。


祈り:主よ!十字架で死なれたことで、救いの道を開かれた主の大きな愛を賛美します。

一言:十字架で一つになった


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