聖書別日ごとの糧   >>   ルカ[2016]

2016年 11月 25日 (金)

ルカ6:1-11
安息日にしなければならないこと

イエス様は他の安息日に、一つの出来事を通じて安息日が何をする日であるかを説明しました。イエス様が安息日に会堂に入られた時、右手のなえた人がいました。律法学者とパリサイ人たちは、イエス様を訴える口実を見つけるために、イエス様が安息日にその人を直すかどうか、じっと見ていました。この時、イエス様は安息日に善を行うことと悪を行うこと、いのちを救うことと失うこと、どちらが正しいかと尋ねました。そして右手のなえた人に向かって「手を伸ばしなさい」と言われました。その通りにすると、彼の手が元どおりになりました。イエス様は安息日が単に仕事を休む日ではなく、善を行なっていのちを救う日であることを見せてくださいました。神様は律法条項に縛られて他人を判断し、殺す宗教指導者たちを喜ばれません。他人をかわいそうに思い、善を行っていのちを救うことを望んでおられます。一人を救うことこそ神様が願われることです。イエス様のあわれみを抱いてイエス様のお言葉を伝えるとき、いのちを救うことができます。

適用:いのちを救うことと殺すこと、どちらが正しいですか?

一言:いのちを救うこと



2016年 11月 26日 (土)

ルカ6:12-19
十二人を選び、彼らに使徒という名をつけられた

一方、イエス様が選ばれた十二人は出身背景が多様でした。漁師もいれば、取税人もいました。熱心党員もいました。彼らは身分が卑しいながらも平凡な人々でした。その一方で、イエス様の召されに従順に従う謙虚な人々でした。習おうとする心があり、純粋でした。イエス様は、特別なタイプの人を好まれることなく、あらゆる人々に希望を置きました。誰でもイエス様の召されに謙虚に従うならば、その時代に仕える偉大な霊的指導者に成長することができます。

適用:私を呼ばれた神様の希望は何ですか?

一言:使徒



2016年 11月 27日 (日)

ルカ6:20-26
貧しい者は幸いです

イエス様は、どんな人が哀れな者だと言われましたか。富んでいる者です。富んだ者とは、キリストと神の国を遠ざけ、ただ世の中の宝物のほうを選んだ人です。そのような人は、世の中で得られるものによる満足と喜びに捕われて、福音が与える慰めを受けることができません。食べ飽きている者も哀れな者です。イエス様に従わないで現実的な有益だけを選んだ人だからです。このような人の魂は飢えるほかはなく、物質的にも必ず飢えるようになります。世の中では、色々な楽しみで喜々とする人もいますが、結局は苦しみや悲しみで泣くようになる日がくるでしょう。すべての人にほめられるということは、悪くないことだと思われます。しかし、偽りの預言者がそうでありました。こうした者も哀れな者です。イエス様の弟子は、人々からほめられようとするよりは、神様の称賛を受けようとしなければなりません。

適用:貧しい者ですか?

一言:幸いな者です



2016年 11月 28日 (月)

ルカ6:27-36
ただ、自分の敵を愛しなさい

私たちが敵を愛して善を行い、何も望まないで貸すのなら、しばらく損害と痛みを経験します。 しかしそのようにする時、私たちに大きい報いが与えられます。また、私たちは世の中からいと高き神様の子どもと認められることになります。神様は恵みを分からない者と不道徳な者にも慈しみ深い方です。恩恵が分からない不道徳な者にも、愛とあわれみを施す時、私たちは神様の子どもとして神様の光栄を表わすことになります。不道徳な者の心を感動させ、善によって悪に勝つようになります。その人の心をつかむようになります。私たちの周りに多くの人々が集まり、私たちは祝福の源となります。世の中には悪がいっぱいです。このような悪はもっと大きい悪を産むだけです。 このような悪をなくすために強力な規範や法制を動員しても効果はありません。ただ愛とあわれみを実践する時こそ、はじめて悪に勝つことができます。

適用:神様の子どもですか?

一言:あわれみ深い者になれ



2016年 11月 29日 (火)

ルカ6:37-49
わたしのことばを聞き、それを行なう人たち


適用:主のお言葉を聞くばかりですか?

一言::聞いて行う者


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