聖書別日ごとの糧   >>   コリント人Ⅱ[2021]

2021年 10月 16日 (土)

コリント人への手紙第二1:1-11(3)
慰めの神様

この社会の中で信仰によって生きようとすると、あらゆる苦難を受けます。パウロは苦しんでいる聖徒たちに慰めの神様を伝えます。苦難だけあって慰めがないなら、私たちは苦難を担うことができないでしょう。苦難はあっても信仰によって生きていくことができるのは、神様が与えて下さる慰めがあるからです。キリストのために受ける苦しみがあふれるほど、私たちが受ける慰めもキリストによって更にあふれています。したがって、苦難は有益です。苦難を通して神様がくださる驚くべき慰めを経験することになるからです。また、これにより、患難の中にいる他の人々を十分慰めることができるからです。パウロは、自分が苦難を受けることが苦しむ聖徒たちに慰めになることを願いました。その慰めが彼らの心に働きかけて、十分に苦難を耐え抜く力を与えることを望みました。

パウロは、自分がアジアで受けた苦難と慰めについえ証しします。彼は耐えられないほどの圧迫を受け、生きる望みさえ失って、完全に死ぬことになったと思いました。しかし、神様は、これにより、パウロが自分自身ではなく、死者をよみがえらせてくださる主に頼るようにされました。神様は絶望的な死の状況から彼を救い出してくださいました。彼はこれを通して、死者を生かす復活の主を体験し、大きな慰めを受けました。今後、どのような苦難が近づこうと、神様は十分に自分を救い出すことができ、また救い出して下さるという信仰を持つようになりました。



適用:キリストの苦難があふれていますか

一言:慰めもあふれています



2021年 10月 17日 (日)

コリント人への手紙第二1:12-2:4(24)
協力して働く者です

パウロはエペソ滞在中に、コリントを訪問した後、マケドニアに赴き、再びコリントを訪問して二度仕えようという方向を掴みました。ところが、その計画を変えてコリントへの二度目の訪問をやめ、トロアスに行きました。変更した理由は、最初に訪問した時に、コリント教会で起こっていたある問題のことで、彼らをかなり厳しく叱責し、これにより、コリントの人々は悲しみの中であったからです(2:1)。パウロが自分たちを訪問しなくなったことで、偽教師たちはパウロを軽率な人、人間的な計画をする気まぐれな人だと非難しました。それだけでなく、パウロが伝えた福音まで攻撃して信頼できないものだと考えるようになりました。このため、パウロはなぜ自分の計画を変更するしかなかったのかを説明しているのです。

パウロが計画を変更してコリントに行かなかったのは、彼らを深く思いやるためでした(23)。叱られたばかりで、悲しみの中でいる彼らを、パウロが行って再び叱るなら、彼らは萎縮して何も出来なくなってしまうかもしれないと心配したのです。それだけでなく、間違った問題に対し、続けて訪問して叱るなら、ややもすると彼らの信仰を支配してしまうことにもなりかねず、行かないほうが懸命だと考えたのです。パウロは彼らを支配する者ではなく、協力して働く者(Helper)になることを望んでいました。彼らが自ら悔い改めて信仰の上に堅く立ち、喜びを回復することを願いました。パウロは、偽教師たちが非難するような軽率な人でもなく、人間的な計画をする者でもありません(17)。むしろ、神からの純真さと誠実さをもって行う者であり(12)、いつでも聖霊の御心に従って「はい」と言う人です(20)。パウロは神様の御旨に従って行い、羊を大切に思い、あふれるばかりに愛する羊飼いでした。



適用:支配する者ですか。協力して働く者ですか

一言:協力して働く者


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