聖書別日ごとの糧   >>   コリント人Ⅱ[2021]

2021年 10月 19日 (火)

コリント人への手紙第二3:1-6(6)
新しい契約に仕える者にならせた神様

コリント教会に入った偽教師たちは、パウロに推薦状を求めたようです。当時、教会を巡回する教師たちは、推薦状を持っていることが多かったので、それを理由にパウロを認めようとしませんでした。しかし、そもそもコリント教会を育てたのは、パウロでした。彼らは使徒パウロの産みの苦しみを通してイエス・キリストを信じて救われた人たちです。それでパウロは、コリントの聖徒たちに「私たちの推薦状はあなたがたです」と言いました。彼らが、パウロが真の使徒であることを証明するキリストの手紙なのです。この手紙は、墨によってではなく、生ける神の御霊によって、石の板ではなく、心の板に書かれたものです。

パウロは使徒の資格が、自分から出たものではないことをよく知っていました。神様が彼を呼び、主の御業に仕えさせたことをよく知っていました。彼に使徒としての能力と資格を与えられた方は神様であり、ただ神の恵みによって使徒になったことを確信しています。そうです。私たちが新しい契約に仕える者となったのは、ただ神様の恵みによるのであり、神様によってなされたことです。新しい契約に仕える者は何をしますか。律法に仕える者は、人々を判断し、罪に定めます。一方、新しい契約に仕える者は新しい契約、すなわちキリストの福音によって人々を生かし、立てて、救います。



適用:私たちはどのように新しい契約に仕える者となりましたか

一言:ただ神様から



2021年 10月 20日 (水)

コリント人への手紙第二3:7-18(9)
義とする務めは栄光に満ちあふれる

 パウロは、新しい契約に仕える務めがどれほど栄光ある役目であるかを話しています。古い契約には律法を教える役目があり、その役目にも素晴らしい栄光がありました。モーセは、神様と対面して律法を受け取りましたが、その時、モーセの顔は輝きを放ちました(出エジ34:29・30)。この輝きは、いずれは消え去るものではありましたが、務めを行う者の栄光を示して下さいました。ところがこの務めは、人を罪に定める務めでした。律法に基づき人を罪に定め、結局は死に至らせる務めです。反対に、新しい契約の役目は、人に永遠のいのちを得させ、生かす務めです。ですから、新しい契約の務めは、他のどんなものよりも栄光ある務めです。パウロは「罪に定める務めに栄光があるのなら、義とする務めは、なおいっそう栄光に満ちあふれます」と話します。

 モーセが輝く顔に覆いを掛けたのは、イスラエルの子らが、消え去る栄光に注目しないようにするためでした。モーセは、民たちが自分の栄光に注目するよりも、律法をよく守り、神様の祝福を受けることを望みました。しかし、イスラエルの子らの理解は鈍くなりました。今日に至るまで、古い契約が朗読されるときには、同じ覆いが掛けられたままで、取りのけられていません。覆いが彼らの心を覆い、御言葉の真の意味を悟りません。しかし、それはキリストによって取り除かれました。イエス様を受け入れるなら、霊的無知と高慢と自己義の覆いが取り除かれます。契約の制度と儀式から抜け出して、霊的な世界を明らかに見ることが出来ます。これは聖霊の御業です。聖霊の御業はいのちの御業、罪と死と律法から自由になる御業です。主の御霊がおられるところには自由があります。聖霊の御業に仕える人はもっと栄光を帯びたものとなります。この役目を行う者はモーセのように覆う必要がありません。なぜなら、主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行くからです。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。



適用:新しい契約の働き手になったことを栄光と考えていますか

一言:もっと大きい栄光


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